営業秘密漏えい厳罰化、中韓などへの技術流出は防げる?

相談者 E.Hさん

 私は、東京の下町で工作機械を製造する中堅企業を経営しています。同業他社の多くが中国やタイなど海外に拠点を移したり、廃業したりする中で、うちは高い技術を持つ優秀な社員たちに支えられ、何とか日本で頑張ってきました。

 最近、経営者団体の会合に参加した時に、親しい経営者から営業秘密漏えいで被害を受けそうになった話を聞き、自分のところは大丈夫か心配になっています。

 その会社は、ある特殊な技術を有しており、それが競合他社に対する武器となって売り上げを伸ばしてきました。ところがある日、複数の社員らが突然、示し合わせたように退社を申し出てきました。本人たちは口を割らなかったそうですが、調べてみると、転職先は競合企業。あわてて社内のサーバーを調べたところ、機械の設計図面のデータが大量にコピーされた形跡が残っていました。やめていく社員たちが営業秘密を大量に持ち出したに違いないと思ったその経営者は、すぐに刑事告訴をしました。社員らは逮捕され、独自技術が競合企業の手に渡るのは直前で食い止められたそうです。

 その経営者は「日本は産業スパイ天国っていうのは本当だな。今回の一件で身にしみたよ。だけど、人を見たら泥棒と思えっていうのもね。何だか、いやな世の中になったもんだ」と嘆いていました。

 うちの会社でも、ある中堅社員がちょくちょく韓国に出かけているようです。本人は「息抜きですよ」と言っていますが、その経営者の話を聞いてからは素直に信じることができません。会合では、今年1月に施行された改正不正競争防止法のことも話題になりました。情報漏えいに対する罰則が強化されたそうですが、これで営業秘密の漏えいは防げるのでしょうか。漏えいを巡る過去の事例などと併せて教えてください(最近の事例をもとに創作したフィクションです)。

(回答)

相次ぐ「産業スパイ」事件

 昨年、テレビで大ヒットしたドラマ「下町ロケット」。下町の小さな工場で働く技術者たちの奮闘を描いた作品です。後編の「ガウディ計画」編では、職場の従業員が退職する時、上司が考えた新しい製品のアイデアを盗み、ライバル会社に横流しするシーンが出てきます。ドラマだけでなく、近年、このような先端技術や顧客情報といった営業秘密が流出する「産業スパイ」の事例が相次いでいます。

 著名な事例では、新日鉄住金が韓国の鉄鋼最大手ポスコに特殊な鋼板の製造技術を盗用されたとして損害賠償などを求めていた訴訟は、2015年9月、ポスコが新日鉄住金に300億円を支払い和解しました。訴えの対象となったのは、変圧器などに使われる「方向性電磁鋼板」と呼ばれる製品です。報道によれば、新日鉄住金はポスコが組織的な盗用を計画し、住友金属工業と合併する前の新日本製鉄の社員に秘密情報を持ち出させて入手し、鋼板を製造したなどと裁判で主張していたとのことです。この訴訟の発端となったのは、問題となっているポスコの技術を中国企業に漏えいしたとして、韓国で逮捕・起訴されたポスコの元社員が、裁判の中で「中国側に流した技術は、元は新日鉄のもの」と供述したことによるとされていますが、この秘密の露見がなければ、情報流出の事実は、闇から闇に葬られていたかもしれません。

 14年3月には、東芝のフラッシュメモリーの研究データを、韓国の半導体メーカー「SKハイニックス」に漏らしたとして、東芝の提携先の元技術者が不正競争防止法違反(営業秘密開示)の疑いで逮捕されました。東芝はSKハイニックスに損害賠償を求める訴訟を起こし、同年12月に約331億円で和解しています。ちなみに、その元技術者につき、東京高等裁判所は、昨年9月、懲役5年、罰金300万円を言い渡した一審の東京地方裁判所判決を支持して、控訴を棄却しました。

 さらに、この原稿を執筆中の4月25日に、家電量販大手エディオンの元課長が転職先の上新電機に営業秘密を不正に持ち出した事件を巡り、エディオンが、上新電機と元課長を相手取り、50億円の損害賠償や情報の使用差し止めを求める訴えを大阪地方裁判所に提起した旨の報道が飛び込んできました。元課長は、上新電機に転職直後の14年1月、エディオン側から不正入手した住宅リフォーム事業に関する営業秘密情報を上新電機の上司に渡したなどとして、不正競争防止法違反の罪に問われ、大阪地方裁判所で有罪が確定しているとのことです。秘密情報の流出は、国外企業に対してばかりでなく、国内企業間でも発生しているということです。

 なお、エディオンは、4月25日付で、以下のようなプレスリリースを発表しています。

「当社は本日、上新電機株式会社(以下、「ジョーシン」といいます)による当社のリフォーム事業に関する営業秘密の不正使用(以下「本事案」)について、その差し止めおよび、不正使用によって作成された事業管理用のソフトウェア・各種社内資料・店舗展示用ディスプレイ設備等の廃棄に加え、50億円の損害賠償を求めて、大阪地方裁判所に提訴致しました。本事案の刑事記録やその後に当社が収集した証拠から、ジョーシンは、当社の秘密情報を利用して、リフォーム事業を起こし、現在に至るまでこれらの不正使用行為を継続していると考えられます。かような行為の継続は、事業者に正当な競争行為を行う意欲を低減させることになりかねず、不正競争行為への警鐘を鳴らすべく、今回の提訴に至りました」

 また、企業において守られるべき情報としては、技術情報ばかりではなく、個人情報も重要です。14年7月に教育事業大手ベネッセコーポレーションで、大量の顧客情報が流出した事件は、流出件数が約3504万件に上り国内最大の個人情報漏えい事件となりました。この詳細については、本コーナー「教育事業大手から子どもの情報が漏洩 企業の対応や対策は?」(14年9月24日)で解説していますので、そちらを参照して下さい。ちなみに、漏えいした元従業員は、不正競争防止法違反(営業秘密の複製・開示)の罪に問われ、裁判では無罪を主張しましたが、東京地方裁判所立川支部は、今年3月29日、懲役3年6月、罰金300万円(求刑懲役5年、罰金300万円)の実刑判決を言い渡しています。

 警視庁発表「平成27年中における生活経済事犯の検挙状況等について」によれば、営業秘密侵害事犯に関し、平成27年(2015年)には、12事件(前年比1事件増)、31人(前年比18人増)、4法人(前年比4法人増)が検挙されており、いずれも近時、増加傾向にあります。

 しかも、このように表面化した事例は氷山の一角とみられており、経済産業省が12年に全国の企業を対象に行った実態調査によれば、過去5年間に「情報が明らかに漏れた」「おそらく漏れた」などと答えた企業は13.5%に上り、かなりの企業が情報流出に頭を痛めていることが推察されます。

情報窃盗は刑法で処罰されない

 会社に在職中の社員は、労働契約に付随する義務として、会社の営業上の秘密(企業秘密)を保持する義務を負っています。これは、一般的に就業規則の規定や秘密保持契約などの個別の合意がなくても発生すると解されています。

 たとえば、古河鉱業事件では、「労働者は労働契約に基づく付随的義務として、信義則上、使用者の利益をことさらに害するような行為を避けるべき義務を負うが、その一つとして使用者の業務上の秘密を漏らさないとの義務を負うと解される」(東京高等裁判所・昭和55年2月18日判決)と判示されています。つまり、社員がこのような秘密保持義務に違反して企業秘密を外部に漏えいした場合、当然、懲戒処分や解雇の対象となりますし、民事上、損害賠償請求の対象にもなると考えられます。

 では、刑事上、どのような罪に問われるのでしょうか。皆さんがすぐにイメージするのは、「情報を盗む」という行為ですから、刑法の窃盗罪を思い浮かべると思います(刑法235条)。しかし、刑法が定める「窃盗罪」で禁止されているのは、「有体物」を盗む行為です。「情報」は有体物ではありませんから、窃盗罪に問うことはできないとされています。仮に、企業の新製品の設計図や顧客情報が書かれた「紙」や「USBフラッシュメモリー」を盗むとなれば、窃盗罪が成立するのに対して、当該情報をカメラで撮影して持ち出した場合や、自身のUSBフラッシュメモリーにコピーして持ち出した場合は、有体物を盗んでいるわけではないので窃盗罪には当たらないとされるのです。

不正競争防止法

 ただ、「情報を盗む」という行為は、刑法の窃盗罪に問うことはできませんが、別の法律で罪に問うことができます。その法律が、不正競争防止法になります。この法律は、2005年に改正され、企業の営業機密を含んだ電子データの持ち出しなどに関して、罰則規定が追加されました。

 この不正競争防止法は、「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為(以下「不正取得行為」という)または不正取得行為により取得した営業秘密を使用し、しくは開示する行為(秘密を保持しつつ特定の者に示すことを含む)」や「営業秘密を保有する事業者(以下「保有者」という)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為」などを、「不正競争」として規制しています。

 社員がこのような行為を行った場合、会社は差し止め、損害賠償、信用回復措置などの請求を行うことができます。また、悪質な行為は、刑事罰の対象ともなります。なお、国内で管理されている営業秘密を海外で使用・開示する行為も、国外犯として刑事罰の対象となりますし、行為者だけでなく、その者が所属する法人も処罰の対象となります。

営業秘密とは

 不正競争防止法は、「営業秘密」を「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう」と定義しています。つまり、不正競争防止法による保護を受ける「営業秘密」と認められるためには、次の3つの要件を満たす必要があります。

(1)秘密として管理されていること(秘密管理性)

(2)有用な営業上又は技術上の情報であること(有用性)

(3)公然と知られていないこと(非公知性)

 (1)の「秘密管理性」については、単に「社外秘」としているだけでは不十分とする裁判例が多数あり、厳重な管理が必要と解釈されています。つまり、秘密性の高い情報については、書類などの場合は保管場所がきちんと施錠されて鍵の管理が厳重になされている、データであればアクセスするためのパスワードが設定され、アクセス権者が限定されているなど、秘密情報の取り扱いについてルール化されている必要があります。また、秘密にあたる情報には「極秘」などの印をつけ、社員がそれを秘密だと分かるようにしておかなければいけません。

 (2)の「有用性」とは、「財やサービスの生産、販売、研究開発に役立つ事業活動にとって有用なもの」であることが必要とされています(東京地方裁判所・平成14年2月14日判決)。一方、会社の脱税や脱法的手法に関する情報など、公序良俗に反する内容の情報は、法的保護に値せず、有用性はないと解されています。

 (3)の「非公知性」が認められるためには、刊行物に記載されていないなど、情報保有者の管理下以外では一般に入手できない状態にあることが必要です。情報を知っている者が多数いた場合でも、それぞれに守秘義務が課されていれば非公知性が認められます。

 以上のように、会社がいいかげんな管理をしていた情報を、問題が発生してから「営業秘密だ」と主張してみても、法的な保護は受けられないということです。何をどこまでやれば要件が満たされるのかは、経済産業省が「営業秘密管理指針」(15年1月改訂)で裁判例や具体例を挙げて公開していますので、参考にしてみてください。

営業秘密保護の強化

 冒頭で述べたように、グローバル化や国際競争の激化、IT技術の進化などを背景に、近年、企業の営業秘密が流出する事例は増加しています。経済界からも、他国に比べて技術情報などに対する保護水準が低く、対策が立ち遅れているとの声もありました。

 そこで、営業秘密の不正取得、使用行為に対して、刑事・民事両面からの抑止力の向上、強化を目的とした改正不正競争防止法が成立し、今年1月に施行されました。その柱は、(1)罰則の強化(2)保護範囲の拡大(3)民事救済の実効性の向上です。

罰則の強化

 まず、営業秘密侵害罪の罰金刑が引き上げられ、個人に対する罰金刑の上限は1000万円から2000万円に上がりました(懲役は10年以下のままで同じです)。また、法人に対する罰金刑の上限は3億円から5億円に引き上げられました。さらに、情報が国外に流出した場合には、国の産業競争力や雇用への影響も大きいことから、日本企業が保有する営業秘密を海外で使用したり、海外で使用させたりするために行う窃取や開示の場合は重罰化がはかられました(個人3000万円、法人10億円)。

 それらに加えて 個人・法人から営業秘密侵害行為によって得た収益を上限なく没収することができることを定めました。これは、近年発生している事案において、不正取得者が莫大ばくだいな利益を受け取っていることから、たとえ罰金刑を強化しても、それを上回る利益が得られるとなると抑止力が働かなくなることが理由とされています。この収益には、秘密を持ち出したことへの対価だけではなく、秘密を不正使用して生産した製品、それを売却して得た利益なども含まれます。

 さらに 被害を受けた企業が告訴しなくても、警察や検察が捜査できるようになりました(営業秘密侵害罪の非親告罪化)。これまでは刑事手続きの過程で、営業秘密が意図せず漏えいすることを防止するため、親告罪となっていましたが、2011年改正で秘匿決定手続き(注:営業秘密侵害罪の刑事手続きにおいて、公開の法廷で明らかにされることにより事業活動に著しい支障を生ずる営業秘密については、申し出により裁判所が営業秘密の内容を法廷で明らかにしない旨の決定をすることができる手続き)などが整備されたことを受けて、今回非親告罪への改正がなされました。

保護範囲の拡大

 不正に取得、開示された営業秘密だと知って取得した場合、第3次取得者以降の不正使用、開示が処罰の対象となりました(営業秘密の転得者処罰範囲の拡大)。改正前は2次取得者までが処罰の対象だったのですが、ベネッセ事件のように顧客名簿が転々と流通する事案が発生していることから、処罰の対象が拡大されました。

 また、不正に取得した営業秘密を使用して製造された物品に対しての流通規制が設けられました(営業秘密侵害品の譲渡・輸出入等の規制)。つまり、従来、営業秘密の不正な使用により生じた製品(営業秘密侵害品)の譲渡・輸出入は規制の対象となっていませんでしたが、改正により、営業秘密侵害品の譲渡、引き渡し、輸出入などに対して、損害賠償や差し止め請求などができるようになり、刑事罰の対象にもなりました。

 さらに、物理的に海外のサーバーで管理されている営業秘密が、海外で不正取得された場合についても、処罰の対象となりました(国外犯処罰の範囲拡大)。改正前に対象とされていたのは「日本国内において管理されていた営業秘密」でしたが、今回、「日本国内において事業を行う保有者の営業秘密」に改正されたわけです。クラウドなど海外サーバーでデータを保管することが増えていることが背景にあります。

 ほかにも、営業秘密がいったん漏えいすると、インターネットを通じて瞬時に拡散する危険性があることから、未遂であっても法が介入する必要があるとされ、未遂行為も処罰の対象となっています(未遂罪の導入)。

民事救済の実効性の向上

 営業秘密侵害の訴訟を起こす場合、原告側で侵害事実を立証する必要があります。従来、被告がその営業秘密を使って製品を作ったかどうかを、原告側が立証しなければなりませんでしたが、改正によって、被告が営業秘密を使わずに製品を作ったと証明できなければ、被告が使ったと推定するという規定が設けられました(推定規定の導入)。

 また、営業秘密の不正使用に対する差し止め請求権について、改正前は、侵害事実や侵害者を知った後に差し止めができる期間(消滅時効)が3年、侵害行為があった日から差し止めができる期間(除斥期間)が10年でした。しかし、近年は侵害行為から長期間経過した後に発覚する事例も確認されており、被害者救済の観点から、除斥期間が20年へと延長されました(除斥期間の延長)。

なぜ情報が流出するのか

 競合する会社から機械の設計データを持ち出したなどとして、不正競争防止法違反(営業秘密の不正取得)の罪に問われた包装機械メーカーに対し、横浜地方裁判所は、今年1月29日、罰金1400万円の判決を言い渡しました。企業秘密を侵害したとして両罰規定により法人に罰金刑が科されるのは異例なことです。

 この事件で被害に遭った会社では、13年に退職者が続出し、同社を辞めた元社員が次々と競合他社へ転職していました。社内調査で、設計データが社外へ流出していて、他社へ転職した元社員が関与している疑いが浮上したことから、同社が刑事告訴し、元社員が逮捕されました。判決では、設計図を持ち出した元社員やデータを受け取った人など4人にも執行猶予付きの有罪判決が言い渡されています。

 この原稿で紹介した、経済産業省が12年に全国の企業を対象に行った実態調査によれば、過去5年間で明らかな漏えい事例が1回以上あった企業に対して、漏えいの経路について尋ねたところ、「中途退職者(正規社員)による漏えい」との回答が50・3%と最多になっています。

 いわゆる「失われた20年」の間に日本企業でリストラが進み、技術者が転職を迫られたことなどが1つの原因と考えられるわけです。前に記した、東芝の研究データ流出事件において、犯人は、韓国企業に転職する前年に管理職級社員から一般技術者に降格させられて周囲に不満を漏らしていたことや、転職先の韓国企業に在籍中に「大金を手にしたので、残りの人生は遊んで暮らす」などと周囲に話していたことなどが報道されています。

 さまざまな知識やノウハウを持った技術者に対して、韓国や中国、新興国のメーカーなどが積極的にヘッドハンティングを行い、人材と情報の流出を招いているとも指摘されていますが、会社に対し不満を抱いている社員がそういった誘いに乗りやすいことは言うまでもありません。もちろん、他にも、グローバル化により、海外企業との提携が増加していることなども、流出のリスクを高めています。

企業の防衛策は

 こういった事例を踏まえ、企業側としては退職者への対策が必要になってきます。多くの企業は、入社時に社員に対して、就業規則や秘密保持契約などで自社の情報を外部に漏らさないように義務付けています。しかし、退職者に対してはこの縛りがなくなります。特に重要な営業秘密に接していた社員が退職する際には、新たに「秘密保持契約」を結ぶことに加え、一定期間競合他社への転職制限を義務付ける「競業避止義務契約」を結ぶことなどで、ある程度、情報漏えいの抑止効果が期待できます。仮に、こうした契約を結んだ退職者が営業秘密を漏らした場合、会社側は不正競争防止法による差し止めや損害賠償を請求しやすくなるからです。

 ただし、いずれの契約も、その作成には相当の注意が必要です。まず、秘密保持契約ですが、例えば「在職時に知り得た情報は秘密に」などと曖昧あいまいな表現をとった場合、無効とされかねませんし、あらゆる営業秘密を守ることも現実的ではありません。絶対に盗まれてはいけない情報をきちんと選別して、秘密保持契約の際にも、具体的なプロジェクトや技術に絞った形で締結する必要があります。

 次に、競業避止契約ですが、会社にとって重要な技術やノウハウに精通している退職者については、締結する必要があると考えられます。ただ、この契約は、転職者の「職業選択の自由」という憲法上保証された権利を制約することから、書面の内容に十分配慮しないと無効とされてしまう可能性があります。この点、経済産業省による「人材を通じた技術流出に関する調査研究報告書」が参考になりますが、そこでは、競業避止義務契約の「有効性が認められない可能性が高い規定のポイント」として、(1)業務内容等から競業避止義務が不要である従業員と契約している(2)職業選択の自由を阻害するような広汎な地理的制限をかけている(3)競業避止義務期間が2年超となっている(4)禁止行為の範囲が一般的・抽象的な文言となっている(5)代償措置が設定されていない――などが列挙されています。こういった点に十分に注意して、契約を作成する必要があるわけです。

 なお、これらの契約は、会社側が強く締結を迫ったとしても、退職者が応じる義務はないことには注意が必要です。

 さらに、退職時には、退職者が保有しているデータを回収することも重要です。パソコンや携帯電話など会社が貸与している機器に入っているデータは、個人的なものも含めて会社側が自由に処分できると考えられます。他方、会社が私有のパソコンや携帯電話を業務でも使えるようにしていた場合は、状況が異なります。退職時にデータの提出や確認を求めても、自由に調べることが認められない可能性は高いと考えられ、トラブルを避けるためにも退職時のデータの取り扱いを明確に定めた規定を作るなどして、従業員に周知徹底することが重要です。

「産業スパイ天国」の汚名返上に期待

 情報流出によって、企業が受ける被害はじん大なものとなっている可能性があります。新日鉄住金が韓国の鉄鋼最大手ポスコを訴えた冒頭の訴訟における請求金額は1000億円にも上ります。また、技術やノウハウの流出ばかりでなく、個人情報漏洩の被害も甚大です。ベネッセホールディングスは、顧客情報流出事件の影響によって、主力事業の通信教育サービス「進研ゼミ」の会員数が1年間で25%減少し、2015年3月期の連結決算は、上場以来初の赤字に転落しました。

 こうした状況の中、自社から情報が漏れたと疑われる問題が仮に見つかっても、企業は信用やイメージの低下を恐れ、表沙汰になるのを避けたいと考え、外部に事実を公表せず、刑事告訴や損害賠償請求などの行使を見送るケースも少なくないと言われています。

 そこで、警察庁は不正競争防止法の改正にあたって、昨年より、産業スパイ事件を指揮捜査する「営業秘密保護対策官」を全都道府県に配置して、摘発の強化に乗り出しています。捜査の指揮に加えて、企業が集まるセミナーなどにも参加して、営業秘密の流出事例や防止策などを講演する計画とのことです。企業との連携を密にし、被害が発生した際にためらわずに届けてもらうような体制づくりを目的としているようです。

 先端技術が外国企業に流出すれば、国際競争力の低下を招くことは言うまでもありません。それにより企業が競争に敗れれば、中小企業を始めとする国内の雇用が奪われることにもつながります。中国や韓国などが、日本企業を追い上げている中、国や産業界を挙げての情報漏えい対策が急務であり、今回の不正競争防止法改正によって、「産業スパイ天国」などと揶揄やゆされる日本の状況が変わることを期待したいものです。

 

2016年04月27日 10時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 


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