「認知症事故 家族責任なし」最高裁判決の今後の影響

相談者 R.Kさん

「ほら、庭の梅がきれいに咲いていますよ。この分だと桜ももうすぐですね」。穏やかに晴れた3月のある日、いつものように私は、夫の口にスプーンを運びながら話しかけました。夫は無表情で遠くを眺めたまま、口をもぐもぐさせています。「最後に2人で散歩をしたのはいつだったかしら……」。私は、8年に及ぶ介護の日々を振り返っていました。

 私は脳梗塞で倒れた夫を自宅で介護してきました。子どもはみな遠方に暮らしており、周囲に頼れる親族はいません。夫は最近、認知症も進み、私のことも覚えていないようです。

 そんな私にとって、認知症の人が起こした鉄道事故を巡る裁判の行方は人ごとではありませんでした。2年前の7月に、本コーナーの「認知症の夫が徘徊はいかい中に起こした事故、妻や子の責任は?」(2014年7月9日)を読ませていただきました。そこで説明されていたのは、正直信じられないような判決結果であり、衝撃を受けたのを覚えています。

 その判決は、家族が目を離したすきに自宅から出て徘徊していた認知症患者の男性(当時91歳)が電車にひかれて死亡したことにより、振り替え輸送費や人件費などを払わされ、損害を受けたとして、鉄道会社がその家族に対して損害賠償を求めた事案で、男性の妻(当時85歳)に対し約360万円の支払いが命じられたというものでした。当時、すでに夫の介護にかかりきりになっていただけに、「認知症患者を部屋に鍵をかけて閉じ込めろと言うの?」と憤慨したものです。

 その後、この裁判に関する情報には気をつけていましたが、先月くらいから、新聞で、最高裁判所の判決が3月1日にいよいよ出るという記事が載るようになりました。しかも、最高裁判所が口頭弁論を開いて双方の意見を聞いたことから、元の判決が見直されるのではないかとの観測が流れ、期待しながら判決を待ちました。結果は、翌日の読売新聞朝刊の1面を大きく飾ったように、「認知症事故 家族責任なし」ということで、胸をなで下ろした次第です。

 ただ、同様の立場にある、認知症患者を抱えた家族の責任は、将来にわたって完全に否定されたわけではなく、ケースバイケースのようです。さらに、この判決結果に対しては、認知症患者が誰かに怪我けがを負わせたような場合に、被害者が何ら救済を受けられなくなる可能性があるとも指摘されています。この判決によって、すべての認知症患者の家族が安心して暮せるようになったとは言えないようです。

 今回の判決内容と、認知症患者が起こした事件事故に対する家族の責任が今後どうなるか、について教えて下さい。(最近の事例をもとに創作したフィクションです)

(回答)

2014年7月の本コーナーの反響

 2014年7月9日に、本コーナー「認知症の夫が徘徊中に起こした事故、妻や子の責任は?」において、相談者が指摘する、名古屋高等裁判所の判決(平成26年4月24日)を取りあげた際には、読者の皆さんから大きな反響がありました。

 相談者も指摘するように、その判決の対象事件は、家族が目を離したすきに自宅から出て徘徊していた認知症患者(当時91歳)の男性が電車にひかれて死亡したことにより、振り替え輸送費や人件費等の損害を受けたとして、JR東海がその家族に対して720万円の損害賠償を求めた訴訟です。名古屋高等裁判所は、当時85歳であった男性の妻に対して約360万円の支払いを認めました。

 当時、私は、「判決文を見る限り……男性の周囲の人々は充実した介護を実施しており、男性の妻はもちろん、特に男性の長男の妻は献身的に男性の介護を行っていたように読めます。そういった日常的な努力が、単に、出入り口のセンサーの電源を切ったままにしていたという事実だけで、責任を負わされるのは何とも気の毒な印象を受けます……裁判所のように、余りに監督義務上の過失を広く認定すると……徘徊を防ぐためには部屋に鍵でもかけて閉じ込めるしかないという極端な話につながりかねないことが危惧されるところです」とした上で、「今現実に介護をしている配偶者や子どもの責任として、法理論は別として、社会常識に照らし本当に今回のような結論で良いのかという点は、今後十分議論されるべきかと思います」と記しています。やはり、私のような弁護士から見ても、結論に疑問を持たざるを得ないと思ったからです。当時の原稿では、「名古屋高等裁判所の判決に対しては、JR東海、遺族側双方ともに不服として、最高裁判所へ上告した旨が報道されており、まずは最高裁判所の判断を見守りたいと思います」と締めくくられています。

 そして、その高等裁判所判決から2年近く経過した、今月1日に、ようやく最高裁判所の判決が下されたわけですが、タイトルの「認知症事故 家族責任なし」からもお分かりのように、JR東海側の逆転敗訴が確定しました。

最高裁判所判決を理解するための前提

 この問題を理解するためには、民法の定める「監督義務者の損害賠償責任」という制度の理解が不可欠です。この点、既に紹介した、本コーナーの「認知症の夫が徘徊中に起こした事故、妻や子の責任は?」で詳しく解説しましたが、ここで再度簡単に説明しておきます。

 民法は、第714条において「責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」と規定しており、本件では、この責任が問題となっています。

 民法は、責任無能力者、例えば精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある者(認知症患者など)、あるいは、未成年者で自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかった者については賠償責任を負わないとしています。その一方、このような責任無能力者の損害賠償責任を否定することで、責任無能力者の加害行為により損害を被った被害者が保護されなくなり、その救済に欠けるような事態にならないように、責任無能力者を監督する法定の義務を負う者または監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者に対して賠償責任を負わせているのです。言い換えれば、責任無能力者の損害賠償責任が否定されているため、被害者が救済を受ける方途が閉ざされてしまうことがないように、公平で合理的な救済が図られるための手段として「監督義務者の責任」が定められているわけです。

 本コーナー「子供の自転車事故で、親の賠償金9500万円!」(2013年10月23日)で説明した、神戸地方裁判所の判決を覚えている方もいらっしゃると思います。小学5年生(11歳)が時速20~30キロで自転車に乗って走行中に、散歩中の女性(当時62歳)と正面から衝突してしまい、その女性に頭の骨を折るなどの重傷を負わせた事件です。判決は、事故当時11歳だった児童自身には責任能力がないと判断し、児童の親権者として監督すべき法定の義務ある者としての母親に損害賠償責任を認めています。この「監督義務者の責任」の制度がなければ、重傷を負って寝たきりになった女性は、加害者が子供であったという偶然の事情により、誰からも救済を受けられなくなってしまうわけですが、そのような結論が不当であることは言うまでもありません。

第1審判決及び控訴審判決

 名古屋地方裁判所(第1審)および同高等裁判所(控訴審)は、その判決において、いずれも、男性の妻が、上記「監督義務者の責任」を負うことを認めています。

 まず、第1審名古屋地方裁判所は、男性の妻だけでなく、同居していない長男までも監督義務者の責任を負うとして、2人に720万円全額の支払いを認めました。

 それに対して、控訴審である名古屋高等裁判所は、男性の長男は、本件事故当時、男性に対して民法第877条第1項に基づく直系血族間の扶養義務を負っていたものの、この場合の扶養義務は、夫婦間の同居義務および協力扶助義務がいわゆる「生活保持義務」であるのとは異なって、「経済的な扶養を中心とした扶助の義務」であって、当然に、長男に男性と同居してその扶養をする義務(引取扶養義務)を意味するものではないところ、長男は男性と別居して生活していたのであり、長男が男性の生活全般について監護すべき法的な義務を負っていたものと認めることはできないとして、長男の監督義務者該当性を否定しています。

 しかし、当時85歳の男性の妻については、「配偶者の一方が精神障害により精神保健福祉法上の精神障害者となった場合の他方配偶者は、同法上の保護者制度の趣旨に照らしても、現に同居して生活している場合においては、夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情のない限りは、配偶者の同居義務及び協力扶助義務に基づき、精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって、民法714条1項の監督義務者に該当するものというべきである」とした上で、男性の長男夫婦の補助や援助を受けながら、男性の妻として、男性の生活全般に配慮し介護していたのであるから、「夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情があるということはできない」などとして、妻に360万円の損害賠償責任を認めたのです。

 名古屋高等裁判所の判決が出た当時は、新聞などで「介護現場に衝撃の判決」「介護の妻 過失認定」等々と大々的に報道され大きな話題となりました。「認知症患者は24時間閉じ込めておけと言うことか」「認知症患者の介護の実態を裁判所は分かっていない」「懸命に介護してきた家族に負担を押し付けるのはおかしい」などという、判決に否定的な意見が多く見られました。

配偶者というだけで監督義務者にならないと判断

 上記判決に対しては、双方がこれを不服として上告していましたが、上告審である最高裁判所が今年2月2日に口頭弁論を開いて双方の意見を聞いたため、何らかの形で、判決が見直されるのではないかとの予測が高まり、新聞各紙も特集記事を連載するなど注目を集めていました。

 そうした中、最高裁判所は、「民法752条は、夫婦の同居、協力及び扶助の義務について規定しているが、これらは夫婦間において相互に相手方に対して負う義務であって、第三者との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではなく、しかも、同居の義務についてはその性質上履行を強制することができないものであり、協力の義務についてはそれ自体抽象的なものである。また、扶助の義務はこれを相手方の生活を自分自身の生活として保障する義務であると解したとしても、そのことからただちに第三者との関係で相手方を監督する義務を基礎付けることはできない。そうすると、同条の規定をもって同法714条1項にいう責任無能力者を監督する義務を定めたものということはできず、他に夫婦の一方が相手方の法定の監督義務者であるとする実定法上の根拠は見当たらない。したがって、精神障害者と同居する配偶者であるからといって、その者が民法714条1項にいう『責任無能力者を監督する法定の義務を負う者』に当たるとすることはできないというべきである」として、同居の夫婦だからといって、ただちに監督義務者になるわけではない旨を判示しました。

特段の事情がある場合は責任を負う

 その上で、「もっとも、法定の監督義務者に該当しない者であっても、責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし、第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には、衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視して、その者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり、このような者については、法定の監督義務者に準ずべき者として、同条1項が類推適用されると解すべきである」としました。

 つまり、同居の夫婦だからといってただちに監督義務者になるわけではないが、「監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情」がある場合には監督義務者になるとしたのです。

 そして、「特段の事情」があるかどうかについて、判決は、「ある者が、精神障害者に関し、このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは、その者自身の生活状況や心身の状況などとともに、精神障害者との親族関係の有無・濃淡、同居の有無その他の日常的な接触の程度、精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情、精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容、これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して、その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである」としています。

本件事案の結論

 以上を前提として、本件では、男性の妻について、「長年A(注:認知症の男性)と同居していた妻であり、第1審被告Y2(注:長男)、B(注:長男の妻)及びC(注:長男の妹)の了解を得てAの介護に当たっていたものの、本件事故当時85歳で左右下肢に麻ひ拘縮があり要介護1の認定を受けており、Aの介護もBの補助を受けて行っていたというのである。そうすると、第1審被告Y1(注:Aの妻)は、Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが現実的に可能な状況にあったということはできず、その監督義務を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえないから、第1審被告Y1は、法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない」として、妻の賠償責任を否定したのです。

 また、長男についても、「Aの長男であり、Aの介護に関する話し合いに加わり、妻BがA宅の近隣に住んでA宅に通いながら第1審被告Y1によるAの介護を補助していたものの、第1審被告Y2自身は、横浜市に居住して東京都内で勤務していたもので、本件事故まで20年以上もAと同居しておらず、本件事故直前の時期においても1か月に3回程度週末にA宅を訪ねていたにすぎないというのである。そうすると、第1審被告Y2は、Aの第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況にあったということはできず、その監督を引き受けていたとみるべき特段の事情があったとはいえない。したがって、第1審被告Y2も、精神障害者であるAの法定の監督義務者に準ずべき者に当たるということはできない」として、賠償責任を否定しました。

 ただし、長男については、5人の裁判官のうち2人が、賠償責任を負わないという結論は変わらないものの、長男は法定の監督義務者に準ずべき者に該当するが、民法第714条第1項ただし書きにいう「その義務を怠らなかったとき」に該当するので免責されると補足意見を述べています。

裁判長の意見

 上告審で裁判長を務めた岡部喜代子裁判官は、長男について、「A(注:認知症の男性)が2回の徘徊をして行方不明になるなど、外出願望が強いことを知って徘徊による事故を防止する必要を認めて、B(注:長男の妻)がAの外出に付き添う方法を了承し、また施錠、センサー設置などの対処をすることとして事故防止のための措置を現実に行い、また現実の対策を講ずるなどして、監督義務を引き受けたということができる。徘徊による事故としては被害者となるような事故を念頭に置くことが多いであろうがその態様には第三者に対する加害も同時に存在するものであって、第三者に対する加害防止もまた引き受けたものということができる。確かに第1審被告Y2(注:長男)はAと同居していないが、加害防止義務の内容としては同居して現実に防止行動をすることだけを意味するわけではない。第三者に対する加害行為を行うことを実際に引き留める、実際に外出しないように実力を行使する、というような行動ばかりではなく、第三者に対する加害を行わないような環境を形成する、加害行為のおそれがある場合にはそれが行われないようにしかるべき人物に防止を依頼することができるようにするといった体制作りも含まれる。監督するという行為を行うには被監督者の行動を制御できることが必要であるが、その方法として現実の制御行動に限る理由は存在しない。第1審被告Y2においては、第1審被告Y1(注:Aの妻)の見守りとBの外出時の付添い、週6回のデイサービスの利用という体制を組むという形態で、徘徊による事故防止、第三者に対する加害防止を行ったといえる。すなわち、第1審被告Y2には、少なくとも平成18年(2006年)中に、第三者に対する加害行為の防止に向けてAの監督を現に行っており、その態様が単なる事実上の監督を超え、監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる」として、監督義務者に準ずる者には該当するとしています。

 その上で、「第1審被告Y2は……Aの徘徊行為を防止するための義務を怠りなく履行していたということができるのである。第1審被告Y2のとった徘徊行動防止体制は一般通常人を基準とすれば相当なものであり、法定の監督義務者に準ずべき者としての監督義務を怠っていなかった」として、賠償責任は免責されるとする補足意見を出しています。

今回の最高裁判所判決への評価

 認知症高齢者の場合、親が無条件に監督義務者となる子どもの場合と違って、様々な家族が介護に関わるため、一体、誰が監督義務者としての責任を負うのかが明らかではありませんでしたが、今回の判決は、同居の夫婦だからといってただちに監督義務者になるわけではなく、(1)その者自身の生活状況や心身の状況など(2)精神障害者との親族関係の有無・濃淡(3)同居の有無その他の日常的な接触の程度(4)精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情(5)精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容(6)監護や介護の実態等の諸事情を総合判断して、監督責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かによって監督責任を負う者が判断されると、一定の基準を示したことになります。読売新聞は、これをもって「6要素で責任判断」との見出しを掲げていました。

 この判決後、長男は、「大変温かい判断をしていただき心より感謝申し上げます。父も喜んでいると思います。8年間色々なことがありましたが、これで肩の荷が下りてほっとした思いです」とのコメントを、代理人弁護士を通じて発表しています。代理人弁護士も、「遺族の主張が全面的に取り入れられた素晴らしい判決。認知症の方と暮らす家族の方にとって本当に救いになった」と判決後の会見で述べていますし、新聞などの報道機関も「認知症高齢者を介護する家族の不安を和らげるもの」、「介護の実態に沿った判断だ」と概ね好意的に評価しています。

 私が本コーナーでよく引用している、読売新聞の「編集手帳」でも、「伴侶や親を見守る目配りに労を惜しむ人はいない。高齢者同士の老老介護や遠距離介護ではそれでも目の届かぬときがあろう。認知症患者のもたらす被害をどう救済するかに課題を残しつつも、まずは穏当な判断と受け止めた方が多いはずである」と記しています。

どの程度の介護で免責されるのか

 しかし、最高裁が判断基準として挙げた6要素によれば、賠償責任を負わない家族の範囲が広がるとしても、それら要素は抽象的であり、果たしてどういったことをすれば監督義務を引き受けたことになるのか、また監督義務を引き受けた者はどのような介護をすれば免責されるのかが不透明である、といった批判も上がっているようです。

 今回の基準を素直に読めば、献身的に介護すればするほど重い責任を問われることになりかねないことになり、そのために、介護に消極的になる家族が増加する懸念を指摘する向きすらもあります。

 この点について、木内道祥裁判官は、「法定監督義務者以外に民法714条の損害賠償責任を問うことができる準監督義務者は、その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなどの客観的状況にあるものである必要があり、そうでない者にこの責任を負わせることは本人に過重な行動制限をもたらし、本人の保護に反するおそれがある。準監督義務者として責任を問われるのは、衡平の見地から法定監督義務者と同視できるような場合であるが、その判断においては、上記のような本人保護の観点も考慮する必要があると解される。他害防止を含む監督と介護は異なり、介護の引き受けと監督の引き受けは区別される。この点は岡部裁判官の意見に同感であるが、岡部裁判官とは、同居ないし身近にいないが環境形成、体制作りをすることも監督を現に行っており、監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情に該当し得るとする点で、意見を異にする。Aの介護の環境形成、体制作りは、第1審被告Y2だけが行ったものではない。24時間体制、365日体制、それが何年にも及び、本人の生活の質の維持をこころがける認知症高齢者の在宅での介護は、身近にいる者だけでできるものではないが、身近にいる者抜きにできることでもない。行政的な支援の活用を含め、本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり、各人が合意して環境形成、体制作りを行い、それぞれの役割を引き受けているのである……このような環境形成、体制作りへの関与、それぞれの役割の引き受けをもって監督義務者という加重された責任を負う根拠とするべきではない」と、介護の引き受けと監督の引き受けは区別して考えるべきとしています。

被害者の救済はどうやって行うのか

 また、最高裁判所判決に対しては、民法714条は被害者救済も目的としているにもかかわらず、今回のように監督義務者がいない場合、被害者は救済されないのかとの問題も指摘されています。

 神戸大学教授の窪田充見氏は、読売新聞紙上で、「最高裁の判断を世論は歓迎するかもしれない。だが、それは加害者とされる男性が事故で亡くなる一方、JR側は営業損害にとどまるという、介護する家族に同情が集まりやすいケースだったからだ。仮に認知症高齢者が第三者を死亡させた場合、同じ反応になるだろうか。本人に責任能力がなく、監督義務者もいないとなれば、誰も賠償責任を負わず、被害者は放置されてしまう」と述べています。

 例えば、82歳の認知症の夫を家に残して73歳の妻が郵便局に出かけた際、夫が紙くずにライターで火をつけ、布団に投げたことで出火、隣家の屋根と壁の一部を焼損した事案において、大阪地方裁判所は、2015年(平成27年)5月12日、妻に隣家の修理費143万円のうち既に弁償済みの100万円を控除した43万円の支払いを命じる判決を出しています。その後、この事案は、大阪高等裁判所で和解が成立しましたが、今回の最高裁判決の判断基準によっては、妻が監督義務者に準じる者と認められない可能性もあり、その場合、隣家は、自分に何らの落ち度もなく損害を被ったにもかかわらず、修理費を支払ってもらえないことになってしまいます。実際、この事案では、火元の夫婦は、延焼損害を補償する火災保険には入っていませんでしたので、隣家は被害救済されないことになってしまう可能性が高いと考えられます。

 また、12年(平成24年)11月には、宮崎県で当時75歳の認知症男性が運転するトラックが路側帯に突っ込み下校中の児童3人をはねる事故が発生、意識不明となった男児の両親が男性とその家族に治療費等3億6000万円の損害賠償を求める訴訟を提起して、今も係争中となっています。この事案においても、家族の監督責任が認められなかった場合、被害者の救済が不十分となることも考えられます。

 この点、長男を監督義務者に準ずる者に該当するが、監督義務を怠らなかったとして免責されるとの意見を述べた大谷剛彦裁判官は、民法714条は、「損害賠償の面で、精神上の障害による責任無能力者の保護と、責任無能力者の加害行為による被害者の救済との調整を図る規定である」「高齢者の認知症による責任無能力者の場合については、対被害者との関係でも、損害賠償義務を負う責任主体はなるべく一義的、客観的に決められてしかるべきであり、一方、その責任の範囲については、責任者が法の要請する責任無能力者の意思を尊重し、かつその心身の状態及び生活の状況に配慮した注意義務をもってその責任を果たしていれば、免責の範囲を広げて適用されてしかるべきであって、そのことを社会も受け入れることによって、調整が図られるべきものと考える」として、監督義務を負う主体は客観的に決めて、免責の範囲を広げるべきとしています。

 大谷裁判官の意見は、被害者救済と家族の負担の軽減の両方に目配りした考え方と言えるのではないかと評価されています。読売新聞の記事も、被害救済のため、監督義務を負う人を明確に定め、損害保険加入を促すような仕組み作りを検討すべきではないかと指摘しています。

認知症患者の増加とそれに関わる事故

 厚生労働省によれば、12年(平成24年)に462万人(高齢者の約7人に1人)の認知症患者数が、25年(平成37年)には約700万人(高齢者の約5人に1人)に増加すると推計されています。また、同省が調査したところによると、13年度(平成25年度)に徘徊などで行方不明になった認知症の人は5201人、見つからなかった人は132人、事故などで亡くなっていた人が383人に上っているということです。また、国土交通省によると、認知症と見られる人が線路に立ち入り、はねられるなどした事故は、14年度(平成26年度)に29件発生し、うち22件が死亡事故であったということです。さらに、警察庁によれば、平成26年に75歳以上の高齢ドライバーが起こした死亡事故は471件のうち181件が認知症との関連が疑われるということです。

 厚生労働省の推計のように、今後、認知症患者が増加すると、今回の最高裁判所の事案のような事故が頻発するおそれもありますし、前述のような火事を起こしたり、他人を事故に巻き込んだりしたりすることもますます懸念されることになります。読売新聞の社説では、「こうした損害を、鉄道会社などを含む社会全体のコストと捉える考え方もある。責任をどう分担するのか、保険制度の活用などの議論を深めることが肝要である。独り暮らしの認知症の人も増えよう。在宅介護の重要性が高まる超高齢社会では、地域ぐるみで支える体制の構築が欠かせない」と指摘しています。

地域全体での介護

 厚生労働省は、認知症の人が認知症とともによりよく生きていく環境整備が必要であるとして、認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指す認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を15年(平成27年)1月27日に公表しています。

 新オレンジプランでは、7つの柱として、(1)認知症への理解を深めるための普及・啓発の推進(2)認知症の容態に応じた適時・適切な医療・介護等の提供(3)若年性認知症施策の強化(4)認知症の人の介護者への支援(5)認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくりの推進(6)認知症の予防法、診断法、治療法、リハビリテーションモデル、介護モデル等の研究開発及びその成果の普及の推進(7)認知症の人やその家族の視点の重視、が挙げられており、(1)の認知症への理解を深めるための普及・啓発の推進では、認知症サポーターの養成と活動の支援を具体策として挙げ、17年度(平成29年度)までに認知症サポーターの養成数を800万人に増やすとしており、また、(5)の認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくりの推進では、認知症患者の安全確保として、行方不明者の早期発見・保護を含めた地域での見守り体制の整備も具体例として挙げられています。

 厚生労働省認知症施策推進室は、読売新聞の取材に対して、「認知症の方やその家族が安心して暮らすためには、地域づくりが重要。新オレンジプランに沿って、徘徊に対する見守りネットワークの構築や認知症サポーターによる体制整備を図りたい」とコメントしています。

社会の変化に期待

 今回の最高裁判所判決を契機として、認知症トラブルの増加をどう防いで、生じた被害についての補償はどうしていくのかという課題を、社会全体でどのように解決していくのかを検討する必要性がクローズアップされています。

 この点、元最高検検事の堀田力氏は、読売新聞紙上で、「高齢化で認知症の人が増えたのは、『みんなで支え合うやさしい社会を作りなさい』という神様からのメッセージと受け止めたい」と述べています。また、同様に、大牟田市認知症ライフサポート研究会代表の大谷るみ子氏は、この判決について「認知症の人を閉じ込めるのではなく、住み慣れた地域で暮らし続けられるようにするべきだ、というメッセージと捉えたい」としています。

 私としても、今回の判決を契機として、法制度整備や保険制度の確立はもちろんとして、上記のお二人が指摘するような「やさしい社会」が形成されていくことを願ってやみません。

 

2016年03月09日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 


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