子供が起こした偶発事故に関する最高裁判所の新判断
相談者 ABさん(38)
私には10歳になる息子がいます。とても元気な子で、毎日、学校の授業が終わって帰宅すると、そのまま自転車を飛ばして隣町の公園へ行きます。
目的はサッカー……息子の夢はサッカーの日本代表になることです。時間が1分でも惜しいのでしょう、あたりが暗くなるまで仲間とサッカーをして、くたくたになって帰ってきます。
私としては、子供は元気が一番と考えていまして、塾などには行かせないで、小学生のうちは思う存分に体を動かしてほしいと思っています。ただ、このコーナーの2013年10月23日の記事「子供の自転車事故で、親の賠償金9500万円!」を読んだときは本当に驚きました。親の監督責任が問われたわけですから。
それ以来、たとえ自転車といえども、ほかの人に
息子も、自転車も時に凶器になりうるという点で自動車と同じということは理解しているようです。ただ、万が一、蹴ったサッカーボールが間違えて人に当たってしまった場合でも、理屈の上では自転車事故と同じようになる可能性があるのではないかと、何となくずっと心にひっかかっていました。
そうしたら、やはり現実に起きているんですね。先日、新聞を読んでいたら、子供が蹴ったサッカーボールをお年寄りがよけようとして転倒し、死亡してしまい、お年寄りの遺族が子供の両親に損害賠償を求めた訴訟についての記事が載っていました。この裁判の上告審で、「通常は危険がない行為で偶然、損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われない」とする最高裁判所の初判断が出たと書いてありました。
亡くなった被害者の方には申し訳ないですが、子を持つ親としては、判決に納得してしまいました。とはいえ、どんな場合に親の監督責任が問われるのか、あるいは問われないのかわからない点も多々ありますので、この最高裁判所の判断についてもっと詳しく教えてもらえますか。(最近の事例をもとに創作したフィクションです)
(回答)
偶発の事故の場合、親は免責
読売新聞は4月10日、「偶発の事故 親は免責」との見出しで、その前日に言い渡された最高裁判所判決について報じました。
校庭でサッカーをしていた小学校6年生(11歳11か月)が蹴ったサッカーボールが道路に飛び出し、これをよけようとしたオートバイの老人が転倒して負傷し、その後死亡したという事案で、最高裁判所第1小法廷は4月9日、ボールを蹴った親の監督責任を認めず、死亡した老人の相続人から子供の親に対してなされた損害賠償請求を認めた第1審判決及び控訴審判決を破棄して、請求を棄却する判決を出したのです。
通常は危険がない行為において、偶然、損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われないとの初判断を示したものです。同種事故で従来、親の監督責任がほとんどの場合に認められてきた司法判断の流れが変わると報じられています。
この判決は、認知症の高齢者が起こした事故の賠償にも影響する可能性があるとも指摘され、注目を集めています。本コーナーの「認知症の夫が
この判決は新聞などで大きく報道され社会問題化しましたが、実は、この85歳の妻が損害賠償責任を負った法律論は、子どもの親の責任と同じなのです。つまり、いずれの事案も民法における「監督義務者の損害賠償責任」という制度によるものです。民法714条の「責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」という規定から導き出されるものなのです。
以下、今回の最高裁判所判決を解説しながら、監督義務者の損害賠償責任について説明したいと思います。
従来の判例…親に9500万円の賠償責任も
相談者も指摘しているように、2013年7月に神戸地方裁判所が言い渡した判決は、全国の子供を持つ親に大きな衝撃を与えました。
小学5年生の児童(当時11歳)が、坂道を自転車に乗って時速20~30キロで下って行った際に、散歩中の女性(当時62歳)と正面から衝突。その女性が約2.1メートルはね飛ばされて頭などを強く打ち、頭の骨を折るなどして意識が戻らない状態が続いているという事案で、神戸地方裁判所は自転車に乗っていた子供の母親に対し、合計9520万7082円もの賠償金の支払いを命じたのです。
民法712条の規定はこうです。
「未成年者は、他人に損害を加えた場合において、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、その行為について賠償の責任を負わない」
それを受けた民法714条1項は以下のように規定されています。
「前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない」
この民法712条の規定する「自己の行為の責任を弁識するに足りる知能」とは、「責任能力」といわれるものです。つまり、「自分の行為の結果が違法なものとして法律上、非難され何らかの法律的責任が生じることを認識しうる精神能力をいう」などとされています。この能力は年齢によって画一的に定まるものではなく、個人ごとに、かつ、不法行為の態様との関係で、具体的に考えていくのが相当であると考えられています(東京地方裁判所・平成13年11月26日判決など)。
ただ、10歳以下の者について責任能力を肯定する裁判例や、14歳以上の者について責任能力を否定する裁判例は、行為者に例外的な事情が認められる事案を除けばほぼ存在していないようですから、裁判例においては、責任能力に関しては11歳から13歳の間の年齢におおよその基準がおかれていると考えられます。ちなみに、この年齢の判断については、訴訟において未成年者に責任を認めても賠償能力がない場合が多いことから、直接の行為者を責任無能力者と認定した方が、親などの監督義務者に対して賠償責任を認めやすくなるために、やや高めに認定されている傾向があるなどとも言われています。
親ではなく学校関係者に責任が認められた事例
民法714条1項は前述したように、「ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない」と一応、規定されています。しかし、未成年者の法定監督義務者である親権者は、未成年者が全生活領域にわたって他者を害する行動をとるおそれがないか監視し、かつ未成年者に対して他害行為をしないように指導・教育する義務を負っている、と解されているのです。このため、監督義務者の責任が否定されることは、今までほとんどないと言われてきました。
ただし、未成年者の加害行為がもっぱら代理監督者(学校教諭、学校長など)にのみ委ねられている生活関係において行われ、その代理監督者が監督責任を負う場合に、親権者の責任が否定された裁判例はあります。
たとえば、宇都宮地方裁判所・平成5年(1993年)3月4日判決は、図工の授業中に誤って同級生に目を刺されて小学校2年生が負傷した事案で、同地裁は以下の理由を挙げ、担当教諭の責任を認めました。
「一般に小学2年生は十分な判断能力、自律能力に欠けている上、本件授業は、小学2年生が扱う用具としては非常に危険なハサミを使って作業を行うという内容であり、しかも、授業中、他の児童の作品を見るために自分の座席を離れることも認められていたのであるから、このような授業を担当する教諭としては、単に口頭でハサミの使用方法についての注意を与えるだけではなく、右注意をうっかり忘れてハサミを持ち歩く児童もあり得ることを想定して、可能な限り教室内の児童の行動を見守り、注意に反する行動に出た児童に対しては、適宜注意・指導を与えるべき注意義務があったというべきである。
ところが、前記認定によれば、本件事故は被告A教諭が各児童に対して個別に作業についての指導を行うために教室内を見回っていた間に発生したものであり、自分の座席を離れる児童が数名いた上に、本件事故発生までに、甲(注:加害者の児童)は自分の座席を離れて原告(注:負傷した児童)の座席までハサミを持ったまま歩いていき、同人の座席の周りを一周していたにもかかわらず、同被告は甲の右行動に全く気付かなかったというのであるから、同被告には前記のような教室内の児童の動静を見守るべき義務に反する過失があったというべきであり、その結果、原告に傷害を与えることになったものと認められる」
他方、加害児童である甲の両親の責任は否定しています。理由はこうです。
「自分の行為についてその責任を弁識する能力のない児童が不法行為を行った場合には、その全生活関係について監督義務を負うべき親権者が、原則として、右不法行為による損害を弁償すべき責任を負う。児童が右不法行為を行ったときに小学校教育のために学校長等の指導監督の下に置かれ、学校長等が代理監督義務者としての責任を負うとしても、そのことによって親権者の右責任が当然に免除されることにはならない。しかし、右不法行為の行われた時間・場所、その態様、児童の年齢等から判断して、当該行為が学校生活において通常発生することが予想できる態様のものであり、もっぱら代理監督義務者の監督下で行われたと認められる場合には、親権者は、その監督義務を怠らなかったとして、責任を免れると解される。
甲は、本件事故当時小学校2年生で、自分の行為について責任を弁識する能力がなかったのであるから、……その親権者である被告B及び同C(注:加害児童である甲の両親)は、本件事故により原告の被った損害を賠償する責任を負うかのようである。しかし、……本件事故は、ハサミを使用する図工の授業中に、甲がハサミを持ったまま自分の座席を離れて、原告に近づいたときに発生したものであり、……甲は、小学校2年生の児童としては比較的言いつけを守り、普段から粗暴な行動も見られない児童であったと認められるから、本件事故はハサミの使用という小学校2年生の授業の中では児童間での傷害が生じやすい作業の中で、その危険が現実化したものであり、格別甲の個人的な能力・性格等に基づくものではなく、もっぱら学校長等の代理監督義務者の監督下で発生したものというべきである。
以上によれば、被告B及び同Cは、甲に対する監督義務を怠っていなかったものと認められるから、同人の不法行為に対する親権者としての責任を免れるものと解される」
原審・大阪地方裁判所判決(平成23年6月27日)
今回の事案においても、上記のような裁判所の一般的な運用に従い、第1審である大阪地方裁判所・平成23年(2011年)6月27日判決は、次のように判示して、児童の親の責任を認めています(一部無関係な箇所を省略しています)。
「(1)本件前提事実によれば、以下の事実が認められる。
ア 被告Aは、平成4年3月3日生まれの男性であり、本件事故当時11歳11か月であった。Bは、大正7年3月14日生まれの男性であり、本件事故当時85歳11か月であった。
イ 被告Aは、平成16年2月25日午後5時ころ、小学校の校庭において、友人
ウ Bは、車両に乗車して、本件校庭の南側の溝を隔てた場所にある東西方向に通じる道路上を東から西に向けて走行していた。
エ 被告Aらがフリーキックの練習をしていたゴールは、本件道路に比較的近い場所に、道路と並行して位置しており、同被告らは、本件道路側に向かって、フリーキックの練習を行っていた。
オ 被告Aが、平成16年2月25日午後5時16分ころに蹴ったボールが、本件校庭内から門扉を超えて本件道路上に飛び出した。そのため、折から本件道路の門扉付近を走行していたBが、ボールを避けようとしてハンドル操作を誤るなどして、本件道路上に転倒した。
(2)以上認定の事実によれば、本件事故当時、被告Aがフリーキックの練習を行っていた場所と位置は、ボールの蹴り方次第では、ボールが本件校庭内からこれに接する本件道路上まで飛び出し、同道路を通行する二輪車等の車両に直接当て、又はこれを回避するために車両に急制動等の急な運転動作を余儀なくさせることによって、これを転倒させる等の事故を発生させる危険性があり、このような危険性を予見することは、十分に可能であったといえる。したがって、このような場所では、そもそもボールを本件道路に向けて蹴るなどの行為を行うべきではなかったにもかかわらず、被告Aは、漫然と、ボールを本件道路に向けて蹴ったため、当該ボールを本件校庭内から本件道路上に飛び出させたのであるから、このことにつき、過失があるというべきである。
(3)しかしながら、被告Aは、本件事故当時11歳の小学生であったから、未だ、自己の行為の結果、どのような法的責任が発生するかを認識する能力(責任能力)がなかったといえる。したがって、本件事故によりBに生じた損害については、被告Aは民法712条により賠償責任を負わず、親権者として同被告を監督すべき義務を負っていた被告両親が、民法714条1項により賠償責任を負うというべきである」
以上のように、ボールを蹴った子供は事故当時11歳の小学6年生であったから責任能力がなかったとして、事故によって生じた損害は両親が親権者として監督すべき義務を負っており、民法714条1項によって賠償責任を負うと、従来の裁判例に則した判断を行っているわけです。前述のように、例外的に親が責任を負わない事案もありますが、本件は、小学校6年生が放課後の小学校の校庭でサッカーのフリーキックの練習をしていたときに発生した事故であり、未成年者の加害行為がもっぱら代理監督者(学校教諭、学校長など)にのみ委ねられている生活関係において行われたわけではないので、代理監督者が責任を負う場面ではないと考えられます。
控訴審.大阪高等裁判所判決(平成24年6月7日)
控訴審で、控訴人である両親は自らの監督義務違反が存在しない旨を以下のように主張しました。
「一般的な家庭と同じく、A(注:加害者である小学校6年生)に対し、危険な遊びをしないよう注意し、そのほか身上を監護し教育を施してきた。責任能力者に近づいていく未成年者は能力の発達に応じてその行動の自由に任せておく領域が拡大するため、特に具体的な危険が予測されない限り、いちいちの行動への監督・管理という色彩は薄れ、監督義務は、普段からの教育・しつけの義務という抽象的なものへ後退する。
Aは11歳であったから責任能力者に近づいており、普段から一般家庭と同じくAに教育・しつけを行ってきた控訴人らには監督義務違反はない。また、小学校の校庭にはサッカーゴールがあり、放課後サッカーを含む球技をすることが禁じられていなかったから、控訴人らに、校庭で学校の設置したゴールに向かってサッカーボールを蹴らないようAを監督する義務があったなどとはいえない」
こうした両親の主張に対して、大阪高等裁判所・平成24年6月7日判決は、次のように判示しています。
「控訴人ら(注:Aの両親)は、Aの行為について過失、違法性、予見可能性がなかったこと等を主張する。校庭でサッカーをして遊ぶこと、学校の設置したゴールに向かって蹴ることなどが、社会的に許容された行為であることなどは控訴人らの主張するとおりである。しかし、校庭内の球技であり遊びであることなど、一般にそれ自体は容認される遊戯中の行為であったからといって、その結果第三者に傷害が生じた場合でもその行為にすべて違法性がないということはできない。
小学生の蹴るボール自体が危険なエネルギー(重量、速度、固さ)を持つ場合は少ないと解されるが、そのようなそれ自体が危険性を持っていないボールであっても不意に視界に飛び出せば、二輪車、自転車で進行する老人や幼児に対しては、時として転倒を招来する危険性があるから、球技をする者は本件のように球技の場が人の通行する公道と近接している場合は、球技の場から公道へボールを飛び出させないよう注意すべき義務を負うといわなければならない。
より具体的には、本件では、校庭と公道(本件道路)の近接状況、ゴールの位置、フェンスや門扉の高さ、本件道路の通行の状況などを総合すると、Aは、校庭からボールが飛び出す危険のある場所で、
注意義務の有無・内容は、具体的な状況の下で,予想される危険性との関係において個別的具体的に決定されるものであるから、ボールを蹴る者が競技上の定位置からゴールに向かってボールを蹴ったからといって、違法性が阻却されたり、過失が否定されるものではない。また,本件校庭と本件道路の位置関係からすると、サッカーボールが飛び出すことや、Bの自動二輪車の進行の妨げとなり転倒事故が生じ得ることも、予見可能であったというべきである。
控訴人らは、控訴人らがAに対し、通常のしつけをしてきたこと等から監督義務を尽くしていたこと、監督者として本件事故は予想できないこと等を主張する。しかし、子供が遊ぶ場合でも、周囲に危険を及ぼさないよう注意して遊ぶよう指導する義務があったものであり、校庭で遊ぶ以上どのような遊び方をしてもよいというものではないから、この点を理解させていなかった点で、控訴人らが監督義務を尽くさなかったものと評価されるのはやむを得ないところである」
結局、第1審と同様に、控訴人である両親の主張を認めず、両親の損害賠償責任を認めたわけです。
今回の最高裁判所の判決(平成27年4月9日)
しかし、上告審である最高裁判所・平成27年(2015年)4月9日判決は、冒頭で述べたように、親権者である両親の責任を認めませんでした。
「満11歳の男子児童であるAが本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ったことは、ボールが本件道路に転がり出る可能性があり、本件道路を通行する第三者との関係では危険性を有する行為であったということができるものではあるが、Aは、友人らと共に、放課後、児童らのために開放されていた本件校庭において、使用可能な状態で設置されていた本件ゴールに向けてフリーキックの練習をしていたのであり、このようなAの行為自体は、本件ゴールの後方に本件道路があることを考慮に入れても、本件校庭の日常的な使用方法として通常の行為である。
また、本件ゴールにはゴールネットが張られ、その後方約10mの場所には本件校庭の南端に沿って南門及びネットフェンスが設置され、これらと本件道路との間には幅約1.8mの側溝があったのであり、本件ゴールに向けてボールを蹴ったとしても、ボールが本件道路上に出ることが常態であったものとはみられない。
本件事故は、Aが本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ったところ、ボールが南門の門扉の上を越えて南門の前に架けられた橋の上を転がり、本件道路上に出たことにより、折から同所を進行していたBがこれを避けようとして生じたものであって、Aが、殊更に本件道路に向けてボールを蹴ったなどの事情もうかがわれない。……責任能力のない未成年者の親権者は、その直接的な監視下にない子の行動について、人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう日頃から指導監督する義務があると解されるが、本件ゴールに向けたフリーキックの練習は、上記各事実に照らすと、通常は人身に危険が及ぶような行為であるとはいえない。
また、親権者の直接的な監視下にない子の行動についての日頃の指導監督は、ある程度一般的なものとならざるを得ないから、通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によってたまたま人身に損害を生じさせた場合は、当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない。……Aの父母である上告人らは、危険な行為に及ばないよう日頃からAに通常のしつけをしていたというのであり、Aの本件における行為について具体的に予見可能であったなどの特別の事情があったこともうかがわれない。そうすると、本件の事実関係に照らせば、上告人らは、民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったというべきである」と判示して、両親の監督義務違反を認めず、両親は損害賠償義務を負わないとの判断を示したのです。
親の責任を限定した画期的判決
今回の最高裁判所判決は、今まであまりにも広範に捉えられていた親権者の監督責任を限定した画期的な判決であると、一般に評価されているようです。
確かに、これまでなら、ほぼ無条件に賠償責任が認められてきた事案につき、「通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によってたまたま人身に損害を生じさせた場合は、当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない」として、親権者の監督責任に一定の条件を示した点は画期的といえます。
報道によれば、両親側の代理人は記者会見で、「今回のケースで親に責任を負わせれば、今後は子供を常に監視するか、屋外での球技を禁止するしかなかった」と述べています。普通の遊びで起きる事故を具体的に予想して子供をしつけるのは現実的には困難ですから、通常のしつけをしていれば親権者が責任を負うことはないというのは常識的な判断だと思われます。
その一方で、判決が拡大解釈されて、被害者が救済されないまま放置されかねないとの問題意識から、今回の最高裁判決には懸念も示されています。
今後の訴訟では従来と異なり、個別の事案ごとに監督義務者が免責されるような場合か否かが検討されることになると考えられますが、監督義務者が免責される場合が増加すると、被害者が、事実上何らの救済も受けない可能性が出てきます。事故を恐れて、過度に校庭や公園の使用を制限するなどしたのでは子供の成長を阻害することにもなりかねません。
他方、その結果生じた事故という理由で、被害者が救済されなくなるのも問題です。今回の最高裁判所判決を受け、賠償保険の拡充など、被害者の救済方法を社会全体で考えるべきであるとの主張もなされているようです。
認知症患者などへの裁判にも波及?
今回の最高裁判決は、認知症の高齢者を介護する家族らの「監督義務」にも影響を及ぼすのではないかと考えられています。
冒頭で述べたように、昨年4月24日の名古屋高等裁判所は、認知症患者を抱えた多くの方々に衝撃を与えました。このような判断を前提にすると、家族だけで在宅患者の介護を行い、徘徊等によるトラブルを防止するためには24時間の行動管理が必要になりますが、家庭内において、そのような対応が事実上不可能であることは明らかです。名古屋高等裁判所の判決のように、家族の責任を重くみるのであれば、徘徊を防ぐために、部屋に鍵でもかけて閉じ込めるしかないといった声すらも聞かれました。
しかし、今回の最高裁判所判決と同様に、監督義務者の責任を実質的に考えて一定の条件を付するのであれば、認知症患者の場合でも、介護する家族らの監督責任が免責される可能性も出てくると考えられます。
報道によれば、名古屋高等裁判所判決に対し上告した妻の代理人は、今回の最高裁判決を受け、「子供には『こうすると危ない』と言い聞かせられるが、認知症の人には無意味。親に比べて、介護者は免責される可能性がより高いはずだ」と訴えているということです。現在、双方が上告して、最高裁判所で審理中のようですが、今回の判決を受けて、裁判所がどのような判断を行うのか注目されるところです。