認知症の夫が徘徊中に起こした事故、妻や子の責任は?

相談者K.Tさん

 私たち夫婦は結婚して40年になります。1人息子も独立し、夫が定年退職して、さあこれから人生を謳歌おうかしようという段になって、夫が認知症になってしまいました。

 当初は、物忘れがひどくなったという程度で、としのせいかなと思っていましたが、そのうち、その日に自分がやったことをすっかり忘れてしまったり、私に向かって「あなたはだれ?」と聞いたりするようになり、やがて突然自宅を出て徘徊はいかいをするようになりました。周りの人たちは皆、もう施設に預かってもらった方がいいとすすめてくれますが、長年連れ添った夫と離れて暮らすのは嫌なので、近くに住む息子の嫁にも手伝ってもらって、何とか在宅介護を続けてきました。とはいえ、ちょっと目を離したすきに家を出てしまって、警察に保護されて家に戻ってくることもたびたびあります。

 そんなある時、気になる新聞記事を見つけました。認知症で徘徊した夫が電車にはねられて死亡、JRがその家族に損害賠償請求し、裁判所がそれを認めたというものでした。しかも、一緒に介護をしていた子どもまで賠償責任を問われたことに二重に驚かされました。私の夫が鉄道事故に限らず何か事故を起こしてしまったら、自分に多額の賠償請求が来るばかりか、子どもにまで迷惑をかける可能性があるわけで、いても立ってもいられなくなりました。食事や身の回りの世話だけで私はくたくたです。夜中に何度も起こされるので睡眠も十分にとれません。この前も夫に夕食を食べさせている時にウトウトと眠りこんでしまいました。24時間ずっと目を離さないでいるなんて不可能です。そうなると、施設で夫の面倒を見てもらうしかないのですが、夫も住み慣れた家は離れたくないだろうと思ってしまうのです。認知症の夫が事故を起こした場合、妻や子どもが負うかもしれない責任について、法律ではどうなっているのかを教えてください。(最近の事例をもとに創作したフィクションです)。

(回答)

介護の妻に損害賠償を命じた判決の衝撃

 今年の4月24日、名古屋高等裁判所は、家族が目を離したすきに自宅から出て徘徊していた認知症患者の当時91歳の男性(以下、「男性」とします)が電車にかれて死亡したことにより、振替輸送費や人件費等の損害を受けたとして、JR東海がその家族に対して損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決で、当時85歳であった男性の妻に対して約360万円の支払いを認めました。

 これは、第1審の名古屋地方裁判所判決(平成25年8月9日)が、男性の妻だけでなく、男性の長男にまで約720万円の賠償を命じていた判決を変更して、男性の妻のみに責任を認め、かつJR東海側にも安全に配慮する責務があったのに監視を怠ったなどの事情も鑑みて、賠償額は第1審判決から5割減額されたものとなっています。

 この名古屋高等裁判所の判決は、新聞などで「介護の妻 過失認定」「徘徊事故 2審も妻に責任 賠償額半減 長男の監督義務は認めず」「認知症列車事故『遺族に責任』 在宅介護『閉じこめるしか』」「介護現場に衝撃の判決」などと大々的に報道され、大きな話題となりましたからご記憶の方も多いかと思います。

 男性の遺族の代理人弁護士は、判決後の記者会見で、「家族は十分に介護に努めていたと考えているので、妻の監督責任を認めた判決には納得できない部分がある。今の社会では認知症の患者の保護について、家族だけに責任を負わせるのではなく、地域で見守る体制を築くことが必要だと思われるが、判決はその流れに逆行するものだ」と不満を漏らしたということです。

 家族だけで在宅患者の介護を行い、徘徊などによるトラブルを防止するためには24時間の行動管理が必要になりますが、家庭内において、そのような対応が事実上不可能であることは明らかです。今回の判決のように、家族の責任を重くみるのであれば、徘徊を防ぐために、部屋に鍵でもかけて閉じ込めるしかないといった声すらも聞かれます。ネット上でも「認知症患者の介護の実態を裁判所は分かっていない」という、判決に否定的な意見が多数を占めているように見えます。

 そして、今回の事件を契機に、NHKが、鉄道会社が国に報告した鉄道事故を分析した結果、認知症の人が徘徊するなどして起きた事故は、この8年余りの間に少なくとも76件に上り、このうち64人が死亡、さらに死亡した人の遺族を取材した結果、少なくとも9人の遺族が事故の後、鉄道会社から振替輸送などの名目で損害賠償を請求されていたことが明らかになり、波紋が広がっています。

 今回、なぜ、このような一見不合理とも思われる結論が出るに至ったのかにつき、この判決の認定内容を確認し、このような判決が、同様の立場にある全ての方々にあてはまるかを検討してみたいと思います。

裁判所も一般的な不法行為責任は否定

 この判決を理解する上において重要なのは、男性の妻に対し、民法における、一般的な不法行為の責任を認めたわけではないという点です。皆さんもよくご存じの民法第709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定しており、何らかの事故等で損害賠償責任を負う場合には、基本的にこの規定の適用が問題となります。

 この点、名古屋高等裁判所は、民法第709条に基づく不法行為責任を負うためには、本件事故発生に対する具体的な予見可能性を肯定できる必要があるとした上で、記憶障害があり、時間および場所などの見当識障害を有していた男性について、日中、事務所(注:自宅兼事務所となっています)に居るときにおいて、介護に当たっていた男性の妻および長男の妻が目を離せば、知らないうちに事務所の出入り口から一人で外出して徘徊し、その所在が不明になることがあり得ることは予見できたものの、男性は認知症を患った後においても鉄道の線路に入り込んだり無断で他人の土地や建物に入り込んだりしたことはなかったし、徘徊を始めた後においても、外出時に電車に乗ろうとしたり駅方面に行こうとしたりしたこともなかったのであるから、男性について、男性の妻および長男の妻の知らないうちに一人で外出して徘徊した場合に、鉄道の線路内に入り込むような行動をすることは具体的に予見することは困難であった旨を判示して、その過失を否定し、民法第709条の責任を認めませんでした。つまり、本判決は、一般的な形での不法行為に基づく損害賠償義務については否定しているのであり、この結論については、読者の皆さんも納得されると思います。では、なぜ、男性の妻は損害賠償責任を負うことになったのでしょうか。

監督義務者の責任

 実は名古屋高等裁判所が男性の妻の責任を認めたのは、いわゆる「監督義務者の損害賠償責任」という制度によります。民法第714条は「責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」と規定しており、本件では、この責任が肯定されたわけです。

 この規定を見て、賢明な読者の方は、本コーナーで前に同様の説明を読んだことがあると気がついたかもしれません。実は、この規定については、「子どもの自転車事故で、親の賠償金9500万円!」(2013年10月23日)でもご説明したことがあります。神戸地方裁判所は、小学5年生(11歳)が時速20~30キロで自転車に乗って走行中に、散歩中の女性(当時62歳)と正面から衝突してしまい、その女性が頭の骨を折るなどの重傷を負った事件で、事故当時11歳だった児童自身には責任能力がないと判断し、児童の親権者として監督すべき法定の義務ある者としての母親に損害賠償責任を認めています。

 では、この監督義務者の責任とはどのようなものでしょうか。この点につき、名古屋高等裁判所の判決は以下のように説明しています。

 「民法は、その依拠する過失責任主義の原理に従って、自らの故意又は過失に基づく行為によって他人に損害を加えた場合でなければ、損害賠償責任を負わないものとしている(同法709条)。そして、責任無能力者、すなわち、他人に損害を加えた未成年者で、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかった者、あるいは精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は賠償責任を負わないものとする(同法712条、713条本文)一方、このように責任無能力者の損害賠償責任を否定することで、責任無能力者の加害行為により損害を被った被害者が保護されなくなって、被害者の救済に欠けることがないようにするため、当該責任無能力者を監督する法定の義務を負う者又は監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者は、監督義務を怠らなかったとき、又は監督義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときであることを立証しない限り、上記損害について賠償責任を負うものとしている(同法714条1項、2項)」「(この)損害賠償責任は、監督義務者等が監督義務を怠ったとの監督上の過失を理由とするものであるから、監督義務者等に責任無能力者の加害行為そのものに対する故意又は過失があることを必要とせず、責任無能力者に対する一般的な監督義務違反があることをもって足りるのであり、したがって、監督義務者等において、責任無能力者の現に行った加害行為に対する具体的な予見可能性があるとはいえない場合でも、それが責任無能力者に対する監督義務を怠ったことにより生じたものである限りは、損害賠償責任を免れない。そして、監督義務者等の責任無能力者に対する監督義務は、原則として責任無能力者の生活全般に及ぶべきものであるので、監督期間において責任無能力者に加害行為があった場合には、監督義務者等の監督上の過失が事実上推定されることになるものというべきである。」

 簡単に言えば、今回の配偶者の妻のような監督義務者の場合、責任無能力者による加害行為を具体的に予見できないとしても、それが監督義務を怠ったことによって生じた以上は、原則として損害賠償の責任を負うということです。

民法714条の存在理由

 監督義務者の場合、自らが誰かに損害を与えるような行為をしたわけではないにもかかわらず、損害賠償責任等を負うのはおかしいと考える方もいるかと思います。

 この点、民法の当該規定の意義について、名古屋高等裁判所は、「責任無能力者の加害行為によって生じた損害について監督義務者等の賠償責任を認める民法714条の規定は、同損害に対する賠償責任を責任無能力者については否定する一方、そのことの代償又は補充として、責任無能力者の監督義務者等に同損害に対する賠償責任を認めることで、被害者の保護及び救済を図ろうとするもの」と判示しています。

 仮にこのような規定が無いと、今回のケースのような認知症の人とか、まだ責任を負うことのできないような子どもなどが、何らかの加害行為をして第三者に損害を与えても、責任無能力者の損害賠償責任が否定されているために、被害者が救済を受ける方途が閉ざされてしまいますが、それは決して妥当とは言えません。この監督義務者の責任については、そうした場合における公平で合理的な救済が図られるための手段としてとらえれば、一概におかしいとは決して言えないわけです。

 本件のように、長年認知症の夫を介護してきた妻が、JR東海という大企業に対し損害賠償義務を負うことになったという図式だけでとらえると様々な疑問が出てくるかも知れませんが、むしろ、前述の子どもによる自転車事故のようなケースをイメージしてもらえば、この制度自体に問題があるわけではないと理解してもらえると思います。

認知症患者の配偶者は監督義務者に原則該当

 さて、以上を前提とした上で、名古屋高等裁判所は、「配偶者の一方が精神障害により精神保健福祉法上の精神障害者となった場合の他方配偶者は、同法上の保護者制度の趣旨に照らしても、現に同居して生活している場合においては、夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情のない限りは、配偶者の同居義務及び協力扶助義務に基づき、精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって、民法714条1項の監督義務者に該当するものというべきである」と判示しています。さらに、このように解することは、「民法第714条第1項の監督義務者の損害賠償責任が、家族共同体における家長の責任に由来するという沿革に齟齬そごするものではなく、かえって、配偶者は他方配偶者の相続財産に対して2分の1の法定相続分を有するとされていること(民法第900条1号)と相まって、…責任無能力者の加害行為によって生じた損害の被害者を救済する制度としての同法第714条の趣旨(損害の公平な分担)にも合致する」ともしています。

 そして、名古屋高等裁判所は、男性の妻について、男性の長男夫婦の補助や援助を受けながら、男性の配偶者として、男性の生活全般に配慮し介護していたのであるから、夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情があるとはいえないとして、男性の妻を民法第714条1項の監督義務者と認定しているのです。

 なお、判決は、監督義務者の認定にあたって「成年後見人又は精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(精神保健福祉法)に関する議論をしていますが、ここでは割愛します。

具体的に何が監督義務違反とされたのか?

 名古屋高等裁判所判決は、この点、おおむね、下記のような認定を行っています。

 やや長いですが、皆さんも関心のある部分かと思いますので、一部読みやすいように修正を加えていますが、基本的に判決文になるべく忠実に引用してみたいと思います。

 控訴人(注:男性の妻)は、本件事故当時85歳の高齢で自らも要介護1の認定を受けていたが、家族会議の後から、男性の就寝する夜間及び男性が福祉施設に通所している時間以外は、毎日自宅から男性宅に通ってくるA(男性の長男の妻)の補助を得て、男性の介護を行っていたものであり、男性は、福祉施設に通所する日は、朝7時頃、Aに起こされ、着替え及び食事をした後、福祉施設に通所し、夕方近くに自宅に戻った後は、Aから出されたおやつ等を食べて居眠りをし、その後は3日に一度くらいは、Aの付き添いで散歩し、Aが準備した食事をして、入浴後に就寝するという毎日を送っていたものである。

 したがって、男性に対する介護は、控訴人が、Aの協力を得て男性の意思を尊重し、その心身の状態及び生活の状況に配慮して行われるなど、相当に充実した介護がなされていたものということができる。

 しかし、男性は、外出願望があり、夜間ではあるが、本件各徘徊をしたことがあったものであり、認知症の症状もかなり進行し、常に目が離せない状態であったことは、既に説示したとおりである。そうすると、男性が、常に同じ行動をするとは必ずしも断定はできず、ひとたび一人で外出したときは、場所等の見当識がないことから、どこに行くかは予測がつかない状態にあったということができる。そして、男性は、本件各徘徊の場合には、徒歩で、あるいはタクシーに乗車するなどして徘徊し、いずれも他者からの連絡等により保護されたものであり、本件事故当時の認知症の状態及び程度に照らすと、いったん徘徊した場合には、どのような行動をするかは予測が困難であり、本件事故のような駅構内への侵入も含めて、他者の財産侵害となり得る行為をする危険性があったということができる。

 本件事故は、福祉施設から帰宅して本件事務所にいた男性が、控訴人が居眠りをした間に本件事務所から外出し、JR駅構内の線路内に立ち入ったため、通過する列車に衝突されて発生した事故であるところ、Aは、男性が福祉施設から帰宅後は、男性が居眠りを始めると台所で家事などをすることにしており、常に男性を見守ることまでは困難であった上、控訴人においては、自らの年齢や身体の状態から、男性が外出してしまうと、それを追いかけることは困難であったものである。ところで、本件事務所の出入口には、かつて本件事務所でたばこなどを販売していた頃に来客を知らせるための事務所センサーが設置されていたのであるから、それを作動させることにより、男性が本件事務所の出入口を出入りすることを把握することが容易な状況にあり、実際に、男性が本件事故前に本件事務所から外出する際に事務所センサーが作動していれば、そのセンサー音により、うたた寝をしていた控訴人のみならず、男性が排尿したダンボール箱を片づけていたAも、男性の外出に気づくことができたものと推認される。そうすると、控訴人は、責任無能力者である男性の介護について、Aらの補助を受けながら、男性の意思を尊重し、その心身の状態及び生活状況に配慮した体制を構築していたものということはできるものの、男性が日常的に出入りしていた本件事務所出入口に設置されていた事務所センサーを作動させるという容易な措置を取らず、電源を切ったままにしていたのであるから、男性の監督義務者としての、一人で外出して徘徊する可能性のある男性に対する一般的監督として、なお十分でなかった点があると言わざるを得ない。

周囲は献身的に介護

 判決の認定は、相当に充実した介護がなされていたことを認めた上で、男性が日常的に出入りしていた事務所出入り口に設置されていた事務所センサーを作動させるという容易な措置を取らず電源を切ったままにしていたという事実をもって、一人で外出して徘徊する可能性のある男性に対する一般的監督として十分でなかったとしているわけです。

 判決文を見る限り、裁判所も認めているように、男性の周囲の人々は充実した介護を実施しており、男性の妻はもちろん、特に男性の長男の妻(上記判決におけるA)は献身的に男性の介護を行っていたように読めます。そういった日常的な努力が、単に、出入り口のセンサーの電源を切ったままにしていたという事実だけで、責任を負わされるのは何とも気の毒な印象を受けます。

 男性の妻も、裁判では、「仮に、チャイムのスイッチを入れておいたとしても、家族が入浴やトイレ、家事、雑用等で男性の傍らを離れなければならない状況は当然生じるから、男性が単独で外出しようとした場合、これを完全に防止することは不可能」と主張しています。

 裁判所のように、余りに監督義務上の過失を広く認定すると、冒頭で引用したように、徘徊を防ぐためには部屋に鍵でもかけて閉じ込めるしかないという極端な話につながりかねないことが危惧されるところです。

1審が認めた長男の責任は否定

 上記のように、名古屋高等裁判所の判決が、男性の妻に責任を負わせたことにつき批判もありますが、他方、原審である名古屋地方裁判所は、男性の妻ばかりでなく、男性の長男を監督義務者等に準ずべき者に該当するとして責任を負わせましたが、名古屋高等裁判所は、その点を否定しています。

 男性の長男は、本件事故当時、男性に対して民法第877条第1項に基づく直系血族間の扶養義務を負っていたものの、この場合の扶養義務は、夫婦間の同居義務及び協力扶助義務がいわゆる「生活保持義務」であるのとは異なって、「経済的な扶養を中心とした扶助の義務」であって、当然に、長男に男性と同居してその扶養をする義務(引取扶養義務)を意味するものではないところ、長男は男性と別居して生活していたのであり、長男が男性の生活全般について監護すべき法的な義務を負っていたものと認めることはできないとして、監督義務者・代理監督者該当性を否定しているのです。

 そういう意味では、相談者が危惧している「子どもにまで迷惑をかける可能性」については回避できたわけです。

賠償すべき損害額について

 名古屋高等裁判所は、加害者側の諸事由と被害者側の諸事由を総合的に勘案し、監督義務者等が被害者に対して賠償すべき額を、監督義務者等と被害者間で損害の公平な分担を図る趣旨の下に、責任無能力者の加害行為によって被害者が被った損害の一部とすることができるものとしました。

 その上で、裁判所は、加害者側の諸事由として、

<1>本件事故は、重度の認知症患者であった男性が排尿のために駅構内の線路内に入り込み、通過する列車と衝突したものであり、その結果、男性は死亡した
<2>男性は、本件事故当時、相当多数の不動産を所有するとともに、5000万円を超える金融資産を有していた
<3>男性の配偶者は、男性の相続財産に対して2分の1の法定相続分を有するものであった
<4>男性の配偶者は、民法第714条第1項但書に定めるところの監督義務を怠らなかったとまではいえないものの、長男の妻らの補助を得て、男性のために相当に充実した在宅での介護体制を構築し、監督義務の履行に努めていたと評価できることを認めました。

 他方、被害者側の諸事由として、
<1>被害者は資本金の額が1000億円を超える日本有数の鉄道事業者であるところ、本件事故によって被った損害は約720万円の財産的損害であること
<2>社会の構成員には、幼児や認知症患者のように危険を理解できない者
なども含まれており、このような社会的弱者も安全に社会で生活し安全に鉄道を利用できるように、利用客や交差する道路を通行する交通機関等との関係で、列車を発着する駅ホーム、列車が通過する踏切等の施設・設備について、人的な面も含めて、一定の安全を確保できるものとすることが要請されているところ、駅での監視が十分になされておれば、また、駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば、本件事故の発生を防止することができたと推認される事情もあったことを認めています。

 こういった諸事由を総合考慮した結果、名古屋高等裁判所は、男性の配偶者が賠償責任を負うべき額は、損害額の5割に当たる約360万円とするのが相当であると判断しました。

今回の判決が投げかけた波紋

 以上、名古屋高等裁判所の判決内容を説明してきましたが、結論に首をかしげる方も多いと思います。

 民法714条が定める、監督義務者の責任の制度の意義は、判決も指摘する通りで特段異論はありませんが、何となくに落ちないと感じられるとすれば、それはやはり、十分過ぎるほどの介護を施していながら、そういった日常的な努力があまり評価されず、自宅出入り口のセンサーの電源を切ったままにしていたという一事だけで多額の損害賠償責任が認定されたという結果にある気がします。

 判決も指摘するように、JR東海には、駅ホームなどの施設・設備について、人的な面も含めて一定の安全を確保できるものとすることが要請されており、今回の事件も、駅構内において駅員が十分に乗客の動静を監視し、さらには駅ホームの先端のフェンス扉を施錠さえしていれば、男性が駅構内の線路に立ち入って事故に遭うことを防止することができたと推認できるような事情がある中で、ばく大な利益(平成14年度の連結経常利益で約4040億円)を上げている巨大企業が、いかに損害を被ったからとはいえ、認知症の夫を長年介護してきた85歳の妻やその長男に対して損害賠償責任を追求するという姿勢や、その請求を一部とはいえ認容した判決内容に対して、素朴な疑問を感じるのは、ある意味当然かもしれません。

 識者の方が指摘するように、将来的には、国や地方自治体、鉄道事業者などが一体となって、認知症患者等が徘徊して事故に巻き込まれないような社会づくりを目指す必要があることは間違いありません。ただ、今現実に介護をしている配偶者や子どもの責任として、法理論は別として、社会常識に照らし本当に今回のような結論で良いのかという点は、今後十分議論されるべきかと思います。

 今回の判決を受けて、今後、認知症患者に対する社会環境の整備と併せて、どのように裁判所が同種事例について判断を下していくのか注目されるところです。なお、名古屋高等裁判所の判決に対しては、JR東海、遺族側双方ともに不服として、最高裁判所へ上告した旨が報道されており、まずは最高裁判所の判断を見守りたいと思います。

 

2014年07月09日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 


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