薬のネット通販なぜダメ 再開の見込みは?
相談者 KTさん
「赤ちゃんにはかせる紙おむつも、飲ませる水もない」。パニックになった私を救ってくれたのが、ママ友達のアドバイスでした。「ネット通販ならまだ手に入るかもしれないよ」
もう1年以上も前のことですが、東日本大震災による原発事故で、水道水の安全性が大きな問題となりました。当時、2児の母として、せめて子どもにだけは、安全な水を飲んでほしいと思い、近所のスーパーでミネラルウォーターを探し回ったのでした。しかし、商品棚はすべて空っぽです。どこの店でも品切れです。日本産、ヨーロッパ産とも入荷がストップしたままです。韓国産も出てきましたが、あっと言う間に売り切れです。水だけではありません。紙おむつもパンも牛乳もないのです。1歳児と5歳の幼稚園児をかかえて、困り果てました。
その時、幼稚園のママ友達がネット通販のことを教えてくれたのでした。「スーパーにもないのにネットで買えるのかな」と半信半疑でした。でも、注文したところ、多少時間がかかりましたが、きちんと配送してくれたのです。泣きたくなるくらいうれしかったことを覚えています。
ネット通販は、とても便利です。パソコン画面で商品写真を「買い物かご」に入れ、クレジットカードの番号を入力するだけです。レジに並ぶ必要もありません。ミネラルウォーターのような重い荷物でも、玄関先まで運んできてくれます。「汗だくで子どもの手を引いて買い物に行っていたあの頃は何だったのか」と思います。
値段も、スーパーで買うのと同じか、もっと安いくらいです。最近では、サイトに並んだ商品を見ていて、必要ない物もついクリックしてしまい、ちょっと後悔しています。
買い物をするなら手に取り、目で確かめた商品しか買わない、と決めていた私ですが、今やネット通販の熱烈な愛好者です。しかし、ちょっと不便なことがあります。普段、服用しているある薬が、近所の小さなドラッグストアにはないので、遠くの大きなドラッグストアまで買いに行かなければなりません。それが面倒なので、ネット通販で取り寄せようしたのですが、なぜか薬だけは取り扱っていないのです。
不思議に思っていましたが、ある日新聞を読んでいて、その事情を知りました。記事によると、何年か前に薬をネット通販で取り扱うことが規制され、それ以来、薬をネット通販で買えなくなり、その後、その規制がおかしいと国が訴えられた裁判で国が負けた――ということでした。
しかし、裁判所は、国の規制がおかしいという判断を下したのに、なぜか、今もネット通販で薬の販売が開始されていません。
私は、ドラッグストアで普通に買えるようなものなら、ネット通販で取り扱っても構わないと思います。今はコンビニでも薬が買える時代です。どうして国が規制をしたのか理解できません。このあたりの事情を教えていただけないでしょうか。(最近の事例を参考に創作したフィクションです)
回答
裁判所が医薬品のネット通販を容認
今年(2012年)の4月26日、東京高等裁判所は、医薬品等のインターネット通販を手がける会社が国を相手にして、医薬品のネット販売権確認を求めた訴訟において、その主張を認める判決を言い渡しました。
平成21年の改正薬事法の施行以来、健康被害などのリスクが比較的低いとされている一部医薬品(ビタミン剤、整腸剤など)のネット通販しか認められていませんでしたが、そのような国の規制はおかしいと、裁判所が明確な判断を下したわけです。しかし、国は、この判決を素直に受け入れることなく、判決を不服として、5月9日、最高裁判所に上告したため、現在も、裁判は続いており、いまだに、ネット通販での医薬品の取り扱いは再開されていません。
ご相談者の方が「国が裁判で負けたのになぜネット通販での薬の販売が開始されないのか」との疑問は、上記のような理由によるものです。
最高裁の最終的な判断が出るのはまだ大分先になるでしょうから、ご相談者の方がネット通販で医薬品を購入できるようになるのは、もうしばらく待たなければならないことになります。
このように、多くの方が不便に感じているであろう、医薬品のネット販売がなぜ規制されるようになったのか、また、その規制を巡る裁判の経緯について、ここで整理してご説明したいと思います。
医薬品のネット販売規制
この一連の紛争の発端となったのが、平成18年に成立した「薬事法の一部を改正する法律」(平成18年法律第69号、以下「改正薬事法」とします)です。
この法律は、平成21年6月1日に施行されましたが、それに伴い制定された「薬事法施行規則等の一部を改正する省令」(平成21年厚生労働省令第10号、以下「改正省令」とします)により変更された、新しい「薬事法施行規則」で、医薬品のネット販売の規制規定が設けられたことに始まるわけです。
この改正省令では、薬事法施行規則15条の4に「郵便等販売の方法」と題する規定が新たに追加されました。「郵便等販売」とは、当該薬局又は店舗以外の場所にいる者に対する郵便その他の方法による医薬品の販売をいうとされており、具体的には、インターネット等による通信販売がこれに該当します。
同条では、「薬局開設者は、郵便等販売を行う場合は、次に掲げるところにより行わなければならない。」とされ、「第三類医薬品以外の医薬品を販売し又は授与しないこと」と明記されているのです。これにより、郵便等販売を行う者、つまりネット通販業者は、それまでは基本的にどのような薬も取り扱えたのですが、「第一類医薬品」及び「第二類医薬品」の販売はできず、「第三類医薬品」の販売のみが認められるようになったわけです(ほかにも関連する省令の規定はありますがここでは割愛します)。
では、「第一類医薬品」「第二類医薬品」「第三類医薬品」とはどのような分類なのでしょうか。
改正薬事法が新たに分類した「第一類医薬品」及び「第二類医薬品」とは、その副作用などにより日常生活に支障を来す程度の健康被害が生ずる恐れがある医薬品のことであり、厚労省の資料によれば、「第一類医薬品」は特にリスクが高いものであって、一般医薬品としての使用経験が少ない等、安全性上特に注意を要する成分を含むものを指します。具体的にはH2ブロッカー含有薬、一部の毛髪用薬が挙げられています(「ガスター10」や「リアップ」など)。
同様に「第二類医薬品」とは、リスクが比較的高いとされるものであって、まれに入院相当以上の健康被害が生じる可能性がある成分を含むものであり、具体的には、主な風邪薬、解熱鎮痛薬などが挙げられています。
そして、これら「第一類医薬品」及び「第二類医薬品」以外の一般用医薬品が「第三類医薬品」とされ、厚労省資料によれば、日常生活に支障を来す程度ではないが、身体の変調・不調が起こるおそれがある成分を含むものであり、具体的には、ビタミンB・C含有保険薬、主な整腸剤、消化剤などとなっています。
「法律」ではない「省令」による規制
さて、ここまで読んでこられて、お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、ネット通販業者に対して「第三類医薬品」の販売のみしか認めない旨を明記しているのは、「改正省令」によって新たに条文が追加された「薬事法施行規則」であって、「改正薬事法」ではありません。
では、改正薬事法には、この点どのように規定されているのでしょうか。改正薬事法第36条の5には次のように規定されています。
一般用医薬品の販売に従事する者 |
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第36条の5 薬局開設者、店舗販売業者又は配置販売業者は、厚生労働省令で定めるところにより、一般用医薬品につき、次の各号に掲げる区分に応じ、当該各号に定める者に販売させ、又は授与させなければならない。 一 第一類医薬品 薬剤師 二 第二類医薬品及び第三類医薬品 薬剤師又は登録販売者 |
つまり、薬局開設者等は、第一類医薬品は薬剤師により、第二類医薬品及び第三類医薬品は薬剤師又は登録販売者により、それぞれ販売または授与させなければならないことを規定しているだけであり、その具体的方法などについては、厚生労働省令に委ねているわけです。
このような国民の利便性に大きな影響を与える規制が、国会を通った「法律」ではなく、役所が作成した「省令」により実行されようとしたことは、大きな議論となり、当時の舛添要一厚労相が、厚労相直属の検討会を開催することにし、そこに、楽天の三木谷社長まで自ら出席し大きな話題となりました。当時、検討会において、三木谷社長が、日本地図を取り出しながら、「国土の3分の2は10キロメートル圏内に薬局・薬店がない」と指摘し、ネットが国民にとっての「ライフライン」であることを力説しました。また、当時、この規制に対し反対する署名が100万人を超えたとも報道され、さらに、厚労省が、改正省令案について意見募集したところ、その多くが「郵便等の販売を規制すべきではない」と表明したとのことです。
しかし、上記検討会は、規制賛成派と反対派の議論が平行線のまま終了し、結局、これらの規制反対への大きな動きは実を結ぶことなく、経過措置(継続使用者や離島住民に対して平成23年5月31日までの2年間に限って通販を認める内容)が設けられたものの、一般医薬品の多くにつきネットによる販売は禁止されました。そして、前記のような裁判が提起される事態にまで至ったわけです。
「法律」と「省令」の関係
さて、では「法律」ならぬ「省令」によって、国民の権利を制限できるのでしょうか。やや憲法の難しい話になりますが、本件での重要なポイントなので簡単にご説明します。
日本国憲法は第41条で、国民の代表機関である国会を「唯一の立法機関」としています。ここでいう「立法」とは、国民の権利義務に直接関係のある事項だけでなく、国家と国民の関係を規律する抽象的・一般的法規を全て含むことになります。
しかし、国家の任務が多様化し、専門的・技術的事項に関する立法や、事情の変化に即応して機敏に適応することを要する事項に関する立法の要求が増加しました。さらには、地方的な特殊事情に関する立法や、政治の力が大きく働く国会が全面的に処理するのに不適切な、客観的公正の特に望まれる立法の必要が増加したことなどから、国会以外の機関が法律の特別な委任を受けて、その範囲内で法律の所管事項(法規)を制定すること(「委任立法」)が認められているのです。
現に、憲法第73条6号では、行政権をつかさどる内閣の事務として「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることはできない」と規定し、委任立法の存在を前提とする規定を置いていますし、内閣法第11条は、「政令には、法律の委任がなければ、義務を課し、又は権利を制限する規定を設けることができない。」と規定しているのです。
つまり、日本国憲法の下では、法規の制定は本来国会の権限に属しますが、限定的とはいえ、例外も認められているわけです。そして、その例外として認められているものの一つが、内閣以外の行政機関が制定する命令があり、その中でも、各省が制定する命令が省令となります。今回のような、省令による国民の権利義務の制限は、法律によって委任され、その委任の範囲内である限りは認められるわけです。
そこで問題となるのが、改正薬事法が、一般医薬品の多くについてネットによる販売を禁止するような内容の委任までを、厚労省に対して行っているのかどうかということとなります。
裁判所の判断(第1審-東京地方裁判所)
東京地方裁判所が平成22年3月30日に言い渡した第1審判決は、おおむね、次のような判断で、国側が勝訴しました。
◇
新薬事法36条の5及び36条の6の授権規定による省令への委任の趣旨が一般用医薬品の安全性の確保(副作用等による健康被害の防止のための適切な選択及び適正な使用の確保)を目的として、一般医薬品のリスクの程度に応じた区分ごとに販売及び情報提供の適切な方法・態様の在り方(有資格者の関与の在り方を含む。)を専門的・技術的な判断に基づき定めることにあることにかんがみると、新薬事法の委任に基づき、省令において一定の区分の一般用医薬品について有資格者が関与する販売及び情報提供の方法・態様を具体的に定めることにより、その結果、当該区分の一般用医薬品につき一定の販売方法を採ることができなくなることがあるとしても、それは、新薬事法の委任の趣旨に沿った規制に必然的に随伴する結果として、当該法律の委任の範囲に包含されており、その範囲を超えるものではないと解するのが相当である。
本件各規定において、新薬事法36条の5及び36条の6の授権規定の委任に基づき、(1)新薬事法の委任の趣旨に沿った規制として、省令において一定の区分の一般用医薬品について有資格者の関与する販売及び情報提供の方法・態様を具体的に定めるとともに(2)これらの規制に伴う帰結として、一般用医薬品の郵便等販売を行う場合は、第一類・第二類医薬品の販売を行わないこと等を定めていることについては、上記(1)の具体的な定めに必然的に随伴する結果として、当該法律の委任の範囲に包含されており、本件各規定のいずれの定めも、その委任の範囲を超えるものではないというべきある。
裁判所の判断(第2審-東京高等裁判所)
それに対して、今年の4月26日、東京高等裁判所は、ネット通販での医薬品販売規制が、法律の委任によらないで国民の権利を制限したものであるとし、ネット通販業者側の逆転勝訴判決を言い渡しました。高裁判決は、おおむね、以下のようなものとなっています。
◇
控訴人ら(注:ネット通販業者)の店舗販売業者が第一類・第二類医薬品の郵便等販売により販売することを規制する本件規制の部分は、新薬事法の各規定の文言、法の趣旨・目的、その立法経緯等に照らすと、被控訴人(注:国)がその根拠規定として主張する新薬事法36条の5が第一類・第二類医薬品等についての販売方法を厚生労働省令に委任していることを前提としても、同条が、店舗販売業者が行う第一類・第二類医薬品の郵便等販売を一律に禁止することまでを委任したものと認めることはできず、また、同条のほかに、同法の36条6その他の被控訴人が主張する根拠規定を総合して検討しても、本件規制の根拠となる委任の規定を新薬事法の条項中に見出すことができない。したがって、本件各規定のうち本件各規制を定めた部分は、法律の委任によらないで、国民の権利を制限する省令の規定であり、国家行政組織法12条3項に違反する。
改正薬事法の功罪
薬事法改正の趣旨は、消費者の安全性確保の観点から、医薬品の販売に関し、リスクの程度に応じて、薬剤師や登録販売者といった専門家が関与し、適切な情報提供などがなされる実効性ある制度を構築することにあります。しかし、必ずしもそのような制度設計通りになっていないのも事実です。
皆さんの中にも、薬局やコンビニなどに行って薬を買う際、本当に親身になって相談にのってくれる薬剤師に出会うことがある反面、症状に応じた薬を購入しようと質問しても要領を得ない回答だけしかもらえず、薬の外箱に記載されている情報を読み上げられるだけで、ほとんど何の説明も受けずに薬を購入したとか、ひどい場合には、説明もそこそこに薬剤師がレジ打ちを始めたなどという経験を持つ人も多いと思います。そういう実態の中で、果たして、対面販売ができないネットでの薬の販売を禁止してしまうことに、どれほどの実効的な意義があるのか疑問があります。医薬品のネット通販を認めた今回の高裁判決に対して納得される方も多いと思いますし、特に、日常的にネットを利用されているご相談者のような方ならば、なおさらでしょう。
ただ、改正薬事法に基づき厚労省が作成した改正省令の内容の是非は別として、改正薬事法によって、国民の利便性が高まったという側面がある点も忘れてはなりません。
同改正によって、薬剤師ではなく、「登録販売者」という資格を持つ店員さえいれば、コンビニや家電量販店などでも多くの薬を販売できるようになりました。最近、コンビニと併設した薬局で薬を買われたことがあると思いますが、このような業態が可能となったのは、改正薬事法によるものなのです。ネット通販は確かに便利ですが、どんなに急いでも、注文から配送まで1日程度はかかります。急な病気の時には、24時間営業している近くのコンビニなどで薬を購入できれば便利であることは言うまでもないことです。
個人的な見解としては、薬剤師といった専門家にきちんと相談して薬を買いたい人は、町の薬局などで自分の症状に適合した薬を購入すればよいでしょうし、いつも使用している風邪薬を買う時のように相談の必要のない場合とか、近くに薬局がない、もしくはご相談者のように、近くに薬局はあっても欲しい薬を取り扱っていない場合などは、ネット通販で薬を購入するなど、国民各人が自己責任の原則に従って、適宜、薬の購入方法を選択すればよいのであり、一律禁止して、国民から、一方的に利便性を奪うような規制までする必要はないのではないかと思っています。
最高裁の判断がどのようなものになるかは分かりませんが、高裁判決が出たことを契機として、今後は、改正薬事法の趣旨や意義については尊重しながら、その性格上、対面販売ができないネット通販において懸念されている弊害をどのように取り除いていくかという、具体的かつ建設的な検討が必要ではないかと思われます。ネット通販業界と国とが、国民の安心・安全と、利便性の調和をどのように図っていくかについて、冷静になって検討していってもらいたいものです。