社内情報で妻や他人名義で株売買、インサイダー取引になる?

相談者 THさん

  • イラストレーション・いわしま ちあき

 「ちょっと話があるんだが…」

 同期の山田が声をかけてきたのは、社員食堂でランチメニューを選んでいる時でした。山田は定食を載せたトレーを手に、私と同じテーブルに移動し、こう切り出しました。

 「あの話どうなった。社長室にいる君が知らないことはないだろう。動きだけでも教えてくれないかな」

 当社は、昨年夏ごろに、賞味期限切れの食材で菓子を製造していた不祥事が明るみに出て、コンビニやスーパーから商品が撤去される事態に至たりました。にもかかわらず、創業以来、同族経営が続いてきた典型的なファミリー企業のために、オーナー一族が多数を占める役員間での近親憎悪的な対立もあり、不祥事への対応が遅れ深刻な経営危機に陥っていました。

 そんな当社に救いの手を差し伸べようとしていたのが大手製パン会社のA社です。ちまたでは、A社は当社の菓子ブランドに目を付けており、いずれ、業務上の提携を行い、当社からA社を引受先とする第三者割当増資を行い、当社に対するA社の支配力を強化していくのではないかと噂されていました。この事実が正式に発表されれば、当社の信用は高まり、株価は上昇するはずです。

 山田がその情報を得て、何らかの利益を得ようとしていることは明らかでした。確かに最近幹部が慌ただしく動いているのは知っていましたが、情報統制が厳しく、私のところまではその情報は届いていませんでしたので、「何も知らない」と伝えると、山田は「何か分かったら教えてくれ」とだけ言って離れていきました。

 私は、自分の机に戻り、重要事項であればプレスリリースを発表するだろうと考えて、社内ネットワークから開示関連のフォルダーを詮索してみました。IR(投資家向け広報)や広報担当ではなくても、社長室所属の社員ならアクセス権限はフリーで、フォルダーを自由に開けるのです。やがて、ある見慣れないフォルダーの中から、当社が、業務提携及び資本参加に向けてA社との間の協議に入ることを決定した旨のプレスリリース資料を発見しました。

 私は直ちに山田に連絡してその旨を伝えたところ、山田は、「俺は買うつもりだが、君も買った方がいい。絶対にもうかる」と言って、株取引を勧めてきました。「インサイダー取引になるかも」と尻込みする私に、山田は、「なんなら、俺の友人名義の証券口座を使ってもいいし、君の妻名義で買うことも考えればいい、そうすれば何の問題もない」と強く迫ってきました。

 山田の勧めるやり方は、インサイダー取引になるのでしょうか?(最近の事例を参考に創作したフィクションです)

回答


「会社関係者」による「重要事実」公表前の株売買がインサイダー取引

 経済産業省元審議官による半導体大手「エルピーダメモリ」株などをめぐるインサイダー取引疑惑が、今年の夏以降、度々、新聞紙上をにぎわしています。同社に対する公的資金注入を伴う再建計画などの公表前に、妻名義で株を買い付けたことなどが問題となっているようです。

 また、ライブドアによるニッポン放送株大量買い占め情報を堀江貴文氏から聞き、ニッポン放送株193万株を買い付けたというインサイダー取引疑惑で、村上ファンドの村上世彰氏が逮捕された事件が、まだ皆さんの記憶に残っていると思います。その後の裁判で、村上氏は有罪判決を受け、2011年6月7日、最高裁は上告を棄却し、懲役2年執行猶予3年、罰金300万円と追徴金約11億4900万円の有罪判決が確定しています。

 インサイダー取引は、「金融商品取引法」(旧証券取引法)により規制されており、村上氏が受けたように、懲役刑も含む罰則規定まで規定されていますが(5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金またはこれらの併科)、どのような取引がインサイダー取引に該当するのかは必ずしも明確ではなく、今回のご相談で、相談者に悪しき誘惑を行ってくる山田のような人物らが後を絶たないわけです。

 以下、今回のケースがインサイダー取引に該当し、規制の対象となるのかどうか考えてみたいと思います。

 インサイダー取引とは、上場会社等(上場会社とその親会社・子会社)の役員、従業員、主要株主などの「会社関係者」または「会社関係者から重要事実の伝達を受けた者(情報受領者)」が、その会社の株価に重大な影響を与える「重要事実」を知りながら、その重要事実が公表される前に、会社が発行する株式等の取引を行うことです。このような取引が行われると、一般の投資家との間の不公平が生じ、証券市場の公正性・健全性が損なわれるおそれがあるために、金融商品取引法において規制されているわけです。

 インサイダー取引に該当するか否かは、取引を行う主体が規制の対象者か否か、対象者となる場合には、その対象者が知った情報が規制の対象であるインサイダー情報か否かが主に問題になります。なお、実務的には、重要事実の「公表」も重要な意味を持ちますが、本件では公表前であることが明らかですからここでは説明を省略します。

規制対象は非常に広範~退職者も退職後1年間は規制対象

 まず、規制対象になるのは、「会社関係者」ですが、それには、当該上場会社やその親会社・子会社の役職員(契約社員、派遣社員、アルバイト、パートなども含まれます)で、その業務を通じ未公開の重要情報を知った者などが該当します。なお、例えば退職等によって会社関係者でなくなった後でも、1年間は、会社関係者と同様にインサイダー取引規制の対象となるので注意が必要です。

 今回のケースでは、相談者自らが現に所属する上場会社に関する情報が問題となっているのですから、相談者は会社関係者に該当することになります。

 ちなみに、冒頭に掲げた経済産業省のインサイダー疑惑ですが、この「会社関係者」は結構広い概念であり、上記の他にも「法令に基づく権限を有する者」(許認可の権限等を有する公務員など)も含まれるので、そちらの方に該当することになります。

 次に、規制対象となり得る「重要情報」かどうかという点ですが、当該情報は、投資者の投資判断、すなわち会社の株価に重大な影響を与えると想定される会社情報でなければなりません。

 具体的には、株式等の発行、資本金・資本準備金・利益準備金の額の減少、自己株式の取得、剰余金の配当、株式分割、株式交換、株式移転、合併、事業譲渡、会社分割、解散、新製品または新技術の企業化、業務上の提携、主要株主の移動、上場の廃止の原因となる事実、決算情報(売上高、経常利益、純利益、剰余金の配当等について、公表された業績予想値に比較して、新たに算出した予想値または当該事業年度の決算において一定以上の差異が生じたこと)などが法律で定められています。

 そして、本件のように、A社との間の業務提携などの情報は、基本的に重要事実に該当することになります。なお、上記に掲げた重要事実でも、投資家に与える影響が軽微なものとして一定の事項に当たる場合は、インサイダー取引の規制対象とはなりませんが(軽微基準と言います)、ここでは割愛します。

 以上より、相談者の方が、自社に関わる、A社との間の業務提携などの情報を知って、その公表前に自社の株式取引を行えば、基本的にインサイダー取引に該当すると考えられます。

本人名義の売買でなくても“レッドカード”

 では、相談者の知人である山田が指摘する、自分の名義の口座で株式の売買を行わなければ大丈夫だ、との話は本当でしょうか。結論としては、山田の説明は誤りであるということになります。自己の名義で取引を行っていない場合でも、インサイダー取引に該当します。

 インサイダー取引においては、取引を誰の名義で行うのか、誰の計算によるのか、誰に効果が帰属するのかを問いません。他人名義で行った場合(例えば、家族や知人の名義で取引を行った場合)、他人の計算で行った場合(例えば、投資顧問会社のファンドマネージャーが未公表の重要事実を知って一任勘定取引で売買をする場合)、他人に効果が帰属する場合(例えば、代理人が取引を行った場合)もインサイダー取引規制の対象に含まれると解されているわけです。

 また、仮に、相談者が、名義だけ妻の名前を借りるのではなく、相談者から情報を聞いた妻が、自分の預金を使って株式を取引した場合、今度は妻の行為がインサイダー取引となります。金融商品取引法は、前述のように、会社関係者から重要事実の伝達を受けた者を「情報受領者」として規制の対象としているからです。言うまでもなく、相手が妻のような家族ではなく、ただの知人、友人でも同じことです。

情報を提供しただけでも処罰される可能性

 以上のように、本件ご相談について、相談者が、山田にそそのかされて実行しようとしていることはインサイダー取引に該当する可能性が高く、そのような行為は断念すべきと思われます。なお、相談者が山田の誘いを断念して何もしなかったとしても、山田が株式の売買を行えば、相談者自体も、教唆犯や幇助犯として処罰される可能性もあることには留意しておく必要があります。相談者としては、山田を説得して違法な行為を行わないようにさせる必要もあるかと思われます。

 仮にインサイダー取引として摘発されれば、最悪の場合、逮捕されて刑務所に入ることになる可能性があるほか(村上氏は、最終的には懲役2年執行猶予3年と執行猶予付き判決となり刑務所に行かずにすみましたが、第1審の東京地裁判決では懲役2年の実刑判決が言い渡されています)、罰金が科せられるばかりか、インサイダー取引で得た財産はすべて没収・追徴されてしまいます。

 また、仮に刑事事件にまではならないとしても、会社からは懲戒解雇処分を受けるでしょうし、仮に利益を得ていたとしても、行政上の措置として、証券取引等監視委員会より、違反行為によって得た経済的利益相当額の課徴金が課せられることになり、手元には何も残らないことになり全く割に合いません。 

 ちなみに、平成21年に発覚した、カブドットコム証券株式会社の社員によるインサイダー取引事件では、インサイダー取引を行った社員は懲戒解雇され、さらに課徴金として44万円を納付するよう命ずる課徴金納付命令が決定されています。

わずか4万円の利益で摘発されたケースも

 なお、インサイダー取引については、その規制のわかりにくさもあって、ちまたに誤解があふれています。重要情報を利用して利益を得ようという目的(図利目的)がなければ問題ない、利益が出ずに損をした場合には問題にならない――といった話ですが、これらはいずれも誤りです。

 前記のように、規制対象となる「重要事実」を知っている「会社関係者」が、重要事実の「公表前」に株式の売買等を行えば、それだけでインサイダー取引となるのであって、どのような思惑で取引したのかや、結果として利益が出ているかどうかは全く関係ありません。

 例えば、今回のケースでいえば、相談者が、山田の誘いを断って株取引をしなかったとしても、A社との業務提携の公表前に、会社の株価がヨーロッパの経済危機の影響で急落しているのを見て、慌てて保有している自社の株式を売却した場合、A社との間の業務提携は株価を上昇させる要因であり、その重要事実を知っていることと株式の売却には何らの因果関係もありませんが、それでもインサイダー取引に該当してしまうのです。また、相談者が株式を購入したところ、株価の上昇要因と一般に思われている、A社との業務提携が実際に公表されてみたら、他の様々な経済要素から、かえって株価が下がって損失を被ったような場合であっても、同様にインサイダー取引に該当するのです。

 インサイダー取引と言われると、何となく、「不当に利益を得る取引」というイメージがあると思いますが、そうではないことをよく認識し、思わぬ落とし穴にはまらないように、くれぐれも注意する必要があると思います。

 証券取引等監視委員会では日ごろから、株価が急騰・急落したり、投資家判断に影響を及ぼしそうな重要事実が発生した銘柄が出た場合、売買記録や売買した人物について分析や審査をしています。

 もはや、「金額が小さいから調査されないだろう」とか「借名口座なのでインサイダー取引と気づかれないだろう」というような時代ではないということです。ちなみに、証券取引等監視委員会が発表している課徴金事例集によると、4万円の課徴金が課せられた事例も掲載されています。つまり、インサイダー取引によってわずか4万円の利益を上げただけでも摘発されているわけです。

2011年11月22日 12時45分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 


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