個人情報の流出で苦痛。慰謝料の相場は?
相談者 SKさん
プライベートな情報が漏れることが、どんなに面倒なことになるのか――。個人情報流出の恐ろしさを身をもって知ることになったのが、半年前の夜にかかってきた一本の電話からでした。
今でも忘れることができません。仕事の疲れから熟睡していた私は、携帯電話の呼び出し音でたたき起こされました。夜の11時半ごろだったと思います。ディスプレーには、東京23区の市外局番の「03」の発信番号。まったく見覚えのない番号です。東京から博多に単身赴任中の私に、家族や会社以外からこんな時間に連絡があるとは。間違い電話か、嫌がらせか、悪い知らせのどれかに違いないと思いました。
「夜分遅く申し訳ありません。わたくし、K不動産販売の者です。このたび東銀座のマンションをぜひご説明したく」
立て板に水のセールストークが耳元に響いてきます。
深夜に投資用マンションの勧誘とは数秒間の沈黙の後、大声を張り上げていました。
「いま何時だと思っている。ふざけるな。真夜中にこんな電話をかけるなんて何を考えているんだ」。電話を切ったあとも、興奮のあまり、しばらく寝つけませんでした。
勧誘の電話は、その後も続きました。マンションだけでなく、プラチナの先物取引、墓地。東京の自宅も直撃を受けました。妻はノイローゼになりかけました。いくら断っても電話がかかってきます。それも違う業者です。勤務先にも電話攻撃です。電話だけではありません。ダイレクトメール、電子メールも届くようになりました。勧誘の無差別攻撃です。「そのうち、自宅に押し売りが来るんじゃないか」と妻に冗談めかして話していたら、本当にリフォーム業者がやってきました。
どうやら、私の個人情報が名簿業者に出回ったようなのです。「電話番号を変えようか」と、妻と話し合ったこともあります。
どうして私の個人情報が漏れたのか? そんなある日、新聞の社会面に目が
翌日、「大変申し訳ございません。お取引履歴を含む個人情報が私どもの不手際で外部に流出してしまったようなのです」と担当者から謝罪の連絡がありました。後日、1万円分の商品券が送られてきました。おわびのしるしということなのでしょう。
「こんなもの、もらっても」。私と妻は商品券の入った封筒を放り投げました。ひらひらと舞い落ちていく封筒を見ていると、無性に怒りがこみ上げてきました。
「おれたちの苦痛を、こんなに軽いはした金でうやむやにしようとしている」。この程度の金額ではとうてい納得できません。もっと多額の慰謝料を払ってもらおうと思います。個人情報が漏れた事故での慰謝料に相場はあるのでしょうか。(最近の事例を基にしたフィクションです)
回答
おわびの相場はワンコインから!?
2003年5月25日、個人情報取扱事業者に対し、個人情報につき、利用目的の明示や情報の適正な取得、
それまで、多くの企業は、個人情報流出事故が発生しても、自社のホームページ上で謝罪したり、おわびの電子メールを出したりする程度で済ませていましたが、同法成立を契機とする個人情報に対する権利意識の高まりに対応して、多くの企業は、情報流出事故が発生した際に、一定の「おわび」を実施するようになりました。
例えば、2003年6月に発生した、ローソンの個人情報流出事故で、ローソンは、115万人のローソンカード会員全員に500円の商品券を郵送し、また、2003年11月に発生した、ファミリーマートの個人情報流出事故で、ファミリーマートは、ファミマ・クラブ会員18万人余りに1000円のクオカードを郵送しました。さらに、2004年1月に発生した、ヤフーBBの個人情報流出事故では、ソフトバンクは、590万人に500円の金券(郵便振替)を送付しました。ちなみに、本件事件でのソフトバンクの対策費は、金券送付分だけで送料を含めて40億円を超えたとされています。
私がこれまで同種事件を検証してきた限りでは、個人情報流出事故におけるおわびの相場は、おおよそ、500〜1000円程度かと思われます。
本件のご相談は、2009年4月に発覚した三菱UFJ証券における情報流出事件を想起させます。同事件では、同社システム部部長代理が個人顧客148万6651人分の情報を不正に持ち出し、そのうち4万9159人分を名簿業者に売却したというものです。本件事件では、顧客に対して、新規公開株や投資用マンションの勧誘等が頻繁になされるようになったとの具体的被害が発生し、三菱UFJ証券は、対象者全員に対して1人あたり1万円の商品券を送ることを発表して、当時、新聞でも「異例の高額」なおわびであると話題になりました。
1万円のおわびは“異例の高額”
今回のご相談者のお気持ちは十分に理解できますが、過去の個人情報流出事故における企業の対応を見る限り、1人あたり1万円相当のおわびは、同種事案におけるおわびの相場からみて、非常に高額であると評価できると思います。
さて、ここまでのご説明は、企業が自主的におわびとして一定の謝罪を行った場合についてのものですが、ご相談者が、自ら裁判で、情報流出企業に対して慰謝料請求を行った場合はどうなるでしょうか。
この点、先ほど取りあげたヤフーBBの個人情報流出の際に、一部の会員が、1人あたり10万円の慰謝料支払いを求めて裁判所に提訴した裁判例が有名です。この事件で、裁判所は、実質的に1人あたり5000円の慰謝料を認定しています(大阪高裁、平成19年6月21日判決)。実質的にというのは、同判決での慰謝料認定額自体は4500円なのですが、おわびとして既に顧客に送付していた500円の金券(郵便振替)を弁済金とみなして、その分を減額した上での認定額ですから、実質的には、1人あたり5000円の慰謝料を認定したということになるわけです(なお、裁判所は、慰謝料以外に、弁護士費用分として1000円の損害も認定しています)。
ただ、このヤフーBB事件における流出情報は、顧客の氏名、住所、電話番号だけでした。三菱UFJ証券事件の場合は、顧客の氏名、住所、電話番号(自宅・携帯電話)、性別、生年月日、職業、年収区分、勤務先名、勤務先住所、勤務先電話番号、勤務先部署名、役職、業種などと広範囲に及んだとされており、その結果、顧客は大きな二次被害を受けたことになります。ご相談者の事例では、ヤフーBB事件判決を参考とするのは必ずしも適切ではないと言えるかもしれません。
この点、エステティックサロンTBCグループにおける個人情報約5万人分が流出した事件において、裁判所が、1人あたり3万円の慰謝料を認定しているのが参考になると思われます(東京地裁、平成19年2月8日判決)。本事案で、裁判所は、エステティックサービスの「コース内容」といった、一般人の感受性を基準にして秘匿の必要性が高い情報が流出したことや、迷惑メールやダイレクトメールが送られてきたり、いたずら電話がかかってくるという二次被害があったことなどを重視しており、ご相談者の事案は、こちらの方が参考事案としては近いと言えるでしょう(なお、裁判所は、本件でもヤフーBB事件の判決と同様に、別途弁護士費用として5000円の損害を認定しています)。
とはいえ、弁護士に訴訟提起を依頼するという話になると、仮に1人あたり3万円の慰謝料が認定されたからといって、被害者にとって決して割の合う話でないことは言うまでもありません。
裁判所が認定する慰謝料額は、この二つの裁判例を見てもおわかりのように、どのような情報が流出したのか、それによる二次被害がどのようなものかによって異なってきますので、本件事案において、裁判所が慰謝料としていくらと認定するかは断言できません。ただ、いずれにしても、裁判を提起して請求する労力等に見合うような高額な慰謝料の認定を期待することはできないと考えた方がよいということです。
慰謝料とは、精神的苦痛を慰謝するために認められる金銭のことですが、残念ながら、日本の裁判所が認める精神的損害の額は、おおむね一般の方が期待する額に比べてずっと低額となることが多いのが現状です。この点に関する裁判所の姿勢が変わらない限り、情報流出事件により、被害者が十分に満足できるような賠償を受けられることを期待するのは難しいわけです。
個人情報の提供は最低限にとどめる
そういう意味で、自分の身は自分で守るという観点から、素性のはっきりしないところに個人情報を提供しない、また提供をするとしても最低限の情報だけにとどめる(年収等、二次被害につながりやすい情報は極力提供しない)といった姿勢が必要かと思われます。
余談ですが、三菱UFJ証券における情報流出事件で、名簿業者に情報を売り渡した部長代理は、2009年4月8日付で懲戒解雇になり、その後、同年6月25日、不正アクセス禁止法違反と窃盗の容疑で警視庁に逮捕され、同年11月12日、東京地方裁判所は、懲役2年の実刑判決を言い渡しました。
また事件後、妻とは離婚し子供2人も家を出て行ったほか、70億円に及ぶとされた損害の一部を、三菱UFJ証券が同人に対し賠償請求していく予定である旨などが報道されました。それに対して、彼が個人情報を売却した際に名簿業者から受け取った金額はわずか12万8000円であり、個人情報を流出させたことに対する報いは余りに大きく、全く割に合わない結果に終わっています。